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2021/01/22
一夜明けて見た光景は
六本木まで見える一面の焼け野が原
米軍撮影 隅田川と堅川周辺
― 東京大空襲戦災資料センター提供 ―
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 戦後76年経とうとしている今年になって、やっと空襲被害者救済法案が国会に上程されるかどうかの正念場を迎えています。
 これはぼくの妻の「思い」を代筆したものです。
  話した人 仲築間 みき
  代筆   仲築間 卓蔵

仲築間みき
仲築間みき
 あの頃(1945年)、昭和でいえば20年の3月、銀座7丁目の叔父夫婦の家に住んでいました。当時女学生でしたが、勉強なんかそっちのけで王子の軍需工場に動員させられていました。連日、空襲警報のサイレンを聞きながらの仕事は鉄砲の弾づくり、私の担当は検査係。なにせ女学生がつくるのですからそのほとんどが不良品。それでもつくらされていましたから不思議ですね。
 3月11日の朝。「ぼくんち焼けちゃったよ」と深川に住んでいいた弟が母親と一緒に素足のままの格好でころがりこんできました。後で分かったことですが、3月10日の、いわゆる「東京大空襲」です。どこの橋を渡ってきたのか、よくぞたどり着いたものです。これも不思議です。そのときの死者10万人、負傷者100万人といわれています。
 「東京大空襲」といえば3月10日が知られていますが、私にとっての東京空襲は5月24日から25日にかけてのいわゆる「山の手大空襲」です。その頃は強制疎開で銀座7丁目から、なぜか赤坂の芸者さんの置屋に移っていました。
 近所の置屋の物干し台に女ものの「白い腰巻」が干してあったのがなぜか印象にあるのです。「白いものを干していると空襲を免れる」というおまじないだというのです。白いものといえば「降参」の白旗ですよ。そのおまじないも通じませんでした。けたたましい空襲警報音。叔父に「今日こそは覚悟しろよ」といわれて慌てて地下鉄の赤坂見附駅に向かいました。
 避難場所は地下鉄の駅といわれていましたが、私たちが着いた時にはすでに満員。途方にくれていると「あっちに行こう!」という男性の声。つられて駆け出しました。近くに焼夷弾が落ちました。遅れていたら直撃だったかもしれません。
 やっと着いたところは坂を上ったところにある永田町小学校。男の人たちが延焼を防ぐためか校舎に水をかけていました。まんじりともせずそこで一夜を明かしました。
 目が覚めて見た光景は、六本木まで見える一面の焼け野が原。これが私の東京大空襲です。
 その後、母の実家の新潟の三条に避難しましたが、やがて広島・長崎に新型爆弾(原爆)。お年寄りに聞いた話ですが「こんどは新潟に落とす」というビラが降ってきたそうです。あのまま戦争を止めることができていなかったら・・と思うとぞっとします。「戦争反対!」・・の言葉よりもっといい言葉はありませんかねえ。
 総務省の2019年人口推計によれば、戦後(1945年以降)生まれは総人口の84.5%だといいます。戦争体験者がゼロになる時代はすぐそこにまできています。私は1930年生まれですが、耳が遠くなってきた程度でまだ元気です。
 空襲被害者を救済する法案が国会に上程されるかどうかの正念場をむかえていると聞いています。空襲被害者のみなさんのご苦労はいかばかりか・・。法案成立を心から念じています。

全国空襲被害者連絡協議会のWebサイト

2021/01/16
日本は核兵器禁止条約への参加を
  核兵器を全廃に向け、包括的に法的禁止とした「核兵器禁止条約」が、1月22日国際条約として発効する。しかし、日本政府は「日本は唯一の戦争被爆国」といいながら、条約に参加せず、要するに「米国従属」の情けない姿をさらしている。「日本は核兵器禁止条約に加入せよ」―。この日を機会に、全国会議員がふさわしいが、せめて全野党だけでも、一致して共同声明でも出せないものか! 
 日本政府の見解は、「日本は核兵器廃絶の目標を共有しているが、北朝鮮の核・ミサイル開発は、日本及び国際社会の平和と安定に対するこれまでにない重大かつ差し迫った脅威。北朝鮮のように核兵器の使用をほのめかす相手には、通常兵器だけでは抑止を効かせるのは困難で、核兵器を持つ米国の抑止力を維持することが必要」というもので、「条約に参加すれば、米国による核抑止力の正当性を損ない、国民の生命・財産を危険に晒すことの容認になりかねない。条約は、日本同様、核の脅威に晒されている非核兵器国からも支持を得られておらず、国際社会に分断をもたらしている」という。(外務省HP)
 一方日本は、核兵器禁止条約には一切触れず、①核戦力の透明性の向上、保有国間の信頼の醸成②核兵器使用のリスクを減らす方策③軍縮教育や被ばく者との交流―などを提案した核軍縮決議案を提出、国連第一委員会で成立させたが、今年は賛成国が昨年より9カ国、一昨年との比較では21カ国も減り、国際社会の日本への信頼の低下を見せつけた。
 日本国内での世論調査では、日本世論調査会の昨年8月調査で72%、朝日新聞の11月の調査で59%が条約に参加すべきだと回答、日本原水協の調べでは、日本政府に禁止条約への参加を求める地方議会の意見書が12月現在で501議会に達した。「日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める署名」も始まっている。
 真面目な話、「核の傘の下」にあるからといって、この条約に反対できないというものではないだろう。「米国と気まずくなる」「米国が『防衛』してくれなくなる」も本当だろうか。北朝鮮は確かに「核」を持ったらしいが、では「米国がいなくなったら日本を核攻撃する」というのだろうか? 「非核」の丸腰の日本を、核で攻めてくると言うのだろうか? これを機に、本当に考えたい。
 「唯一の戦争被爆国・日本」は、ここではっきり、「核なき世界」へ舵を切るべきだ。
2021/01/08
緊急事態宣言再び
~発令した本人は失態だらけ
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 新型コロナウイルス感染拡大を受けた緊急事態宣言が1月8日、首都圏の1都3県で再発令された。
 飲食店、バー・カラオケへの営業時間の短縮要請、不要不急の外出自粛、在宅勤務の推進など、初回よりも対象は限定的となったが、事態は依然として深刻だ。菅義偉首相は再発令後の記者会見で「1カ月後には必ず事態を改善させる」と発言。法律上の感染症への指定が遅れるなど当初の判断ミスが重なり、拡大を食い止められなかった国の責任が問われるのはもちろん、再発令を出した本人の失態も続いている。
 菅首相は先月14日夜、東京・銀座のステーキ店で、二階俊博・自民党幹事長(81)をはじめ、俳優の杉良太郎さん(76)、タレントのみのもんた氏(76)ら8人で会食した。それぞれ、感染した場合の重症化のリスクが高い70代以上。しかも「GoToトラベル」事業の年末年始の全国一斉一時停止を発表した日の出来事だ。翌日にはインターネットTVの番組に出演し、「こんにちは。ガースーです」とひょうきんなあいさつで登場した。コロナ禍が長引いているときに、驚きを通り越して、あきれた人もいることだろう。
 頭を切り替えて今後の対応に集中しなければならない。市民にできることは「3密」防止、衛生面、換気の徹底などだが、PCR検査の拡充、そのための医療現場の支援、生活困窮者のサポートなど、私たちの税金が適切に使われるよう監視する必要がある。
 「誰も置き去りにしてはならない」。これは国連の開発目標であるSDGsの合言葉。大切なのは命を守ることだ。国際社会と連携し、この難局を乗り切らなければならない。
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