| / |
2020/08/27
「積極的平和」「敵基地攻撃能力」
天皇は「過去を顧み、深い反省」、首相は「歴史」抜き「積極的平和」
「戦争」で「平和」を造れるのか! 丸山 重威
▼「8.15」の天皇と首相
戦後75年の8月15日、「日本敗戦の日」、コロナ禍で参加者は、例年の1割弱と減らされたが、日本武道館では、全国戦没者追悼式が行われた。徳仁天皇、雅子皇后夫妻は、2度目の「お言葉」で「私たちはいま、新型コロナ感染症の感染拡大により新たな苦難に直面」していると指摘し、「私たち皆が手を携えて、この困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います」と述べ、コロナ禍の国民を激励した。そして、「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と、過去の戦争の「反省」を口にした。
ところが、「式辞」を述べた安倍首相は、これまで述べていた「歴史と謙虚に向き合い」(2016~2019年)や「歴史の教訓を深く胸に刻み」(2019年)といった言葉は消え、「戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この決然たる誓いをこれからも貫いてまいります」としながら、「我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面しているさまざまな課題の解決に、これまで以上に役割を果たす決意です」と述べたあと、安倍流の「平和主義」を公然と主張した。
イージス・アショアの配備断念を機会に、かつての鳩山一郎首相の見解をもとに、「敵基地攻撃論」を打ち出したのに続く「積極的平和主義」の主張。結びついた2つの主張はまさに、憲法に基づき、築きあげられてきた「平和構築」の議論を根本から覆すものだ。
▼積極的平和主義のウソ
安倍首相は2013年9月25日、米ハドソン研究所で「ハーマン・カーン賞」受賞記念の演説で「日本という国は、米国が主たる役割を務める地域的、そしてグローバルな安全保障の枠組みにおいて、鎖の強さを決定づけてしまう弱い環であってはならない」「日本は、地域の、そして世界の平和と安定に、いままでにも増してより積極的に、貢献していく国になります」「私は、私の愛する国を積極的平和主義の国にしようと、決意しています」と発言、続いて国連総会でも、「国際平和維持活動(PKO)をはじめ国連の集団安全保障措置によりいっそう積極的な参加ができるよう図っていく」と述べ、さすがに大きな問題になった。
「積極的平和主義」とは「Proactive Contribution to Peace」。つまり「平和への積極的貢献」という米国流の平和論で、「平和を造るためには軍事力行使も辞さない」という主張だ。「Proactive」という言葉は、辞書によれば、「人、ポリシー、またはアクションの発生後に対応するのではなく、発生させることによって状況を作成または制御すること」。つまり、平和のために「先制的に」行動することを意味している。
米国はイラクでも、アフガニスタンでも「自衛のための戦争」だ、と主張していることはご存じの通り。まさに Proactive に、「平和のための戦争をしている…」というのだ。
これは「平和学」で言われる「積極的平和」(Positive Peace)とは明確に違っており、平和学のヨハン・ガルトゥング博士は、「積極的平和」とは、貧困、抑圧、差別などの「構造的暴力」がない状態のことをいい、決して「テロとの戦い」に勝利して、脅威を取り除くようなことではない、と述べている。
「戦争法」が問題になっていた2015年、来日した博士は、「参院で審議中の安全保障関連法案は、平和の逆をいくものです。成立すれば、日本は米国と一致協力して世界中で武力を行使していくことになるでしょう。そうなれば、必ず報復を招きます。日本の安全を高めるどころか、安全が脅かされるようになります」と述べていた。
▼指摘できない「敵ってどこだ?」
「敵基地攻撃論」もこの先制攻撃につながる概念だ。
安倍首相は、イージス・アショアの断念の見返りに、自民党・国防族に「提言」を作らせ、「新しい方向性を打ち出す」と安保政策の大転換を計画中だ。
この議論も、古くて新しい。もとは、1956年の鳩山一郎首相の見解がベースになっている。「わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対し、誘導弾等による攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられない」「他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものと思います」(1956年2月29日、衆院内閣委員会)。
これを主張する人たちは、「攻撃されたら反撃する」から「例えばミサイルに燃料が注入されボタンを押すだけになったら」になり、「『東京を灰じんに帰す』と宣言し、ミサイルを屹立(きつりつ)させた時点で敵基地攻撃が可能」(2003年石破茂防衛庁長官)ということらしい。
「他国からの攻撃が切迫し、それを防ぐ他の有効な手段がない場合、敵地を攻撃する行為は国際法上、違法な先制攻撃でなく正当な自衛権の行使」というこれまた米国流の自衛権論は、「攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使する」という憲法に基づく「専守防衛」の安全保障政策とは真っ向から対立するが、早い話、米国のイラク攻撃や、アフガニスタン攻撃も米国では「自衛権行使」だから恐れ入る。米国はこの手の攻撃を「人道的介入」などという言葉でごまかしてきた。
さらに、政府や自民党が、今回「相手領域内への攻撃」と言い「敵基地」と言わなかったのは、日本の周辺、どこにも「敵」はいないはずだし、「敵」だと認定すれば、少なくとも外交は、それでおしまいだからだ。
もう一つ指摘しよう。現代の戦争は、「先制攻撃」と言っても、「防御戦争」といっても、どちらが先に、誰が始めたかわからないのが常で、謀略は戦争につきものだ、と言うことだ。
15年戦争のスタートになった、1931年の柳条湖事件は日本・関東軍の自作自演だったし、1964年8月、米軍の舟艇が攻撃されたというトンキン湾事件はペンタゴン・ペーパーで、米軍が仕組んだものだったことがわかった。2003年のイラク戦争の理由とされたイラクの大量破壊兵器製造も、にせ情報だった。つまり、常に強国が弱小国を攻撃する口実に使われるのが、この「自衛論」なのだ。
▼新聞に反省はないのか
このように、問題がある新防衛論だが、例によって、新聞論調は分かれている。
朝日、毎日、東京が「専守防衛の原則から逸脱する」などと反対しているのに対し、産経は「国を守るための有効な手段」として、政府に保有の決断を迫り、読売も「日本に被害が及びそうな場合、ミサイル拠点を攻撃する選択肢を持つことは妥当だ」とこれを支持する。ともに、言うのは、相も変わらず、北朝鮮と中国の「脅威」。
産経は「国民の生命と日本の平和を守る防衛力について、最大与党が真剣かつ冷静に検討した結果である」と評価、「北朝鮮や中国は、日米のミサイル防衛網を突破しようと自国のミサイルの能力向上や増強に余念がない。ミサイルには核弾頭が搭載される恐れもある」とし、読売は「武力攻撃に着手した国に対する自衛の措置は、国際的にも認められている」「北朝鮮は、変則的な軌道の弾道ミサイルを繰り返し発射した。中国は、音速の5倍以上で飛行する高性能兵器を開発している。現在の防衛体制で、こうした最新兵器に対処するのは難しい」という。相も変わらず、武力には武力で、と言う旧態依然たる発想から抜け出せない論調だ。
でも、産経も、読売も、これでよかったのか?
かつて戦争の惨禍を押しとどめることができなかった日本の新聞は、その痛恨の反省に基づいて日本国憲法を支持し、戦争のない世界を目指したはずだった。「8.15」はその反省の日だったはずだ。そんなに2つの国が問題なら、なぜそれらの国と話し合って、「不可侵」でも「不戦」でも、「相互安全保障」でも、約束ができないのか? 産経も、読売もそんな提案ができないのはなぜだろうか?
河野太郎防衛相は記者会見で「周辺国の理解を得るには何が重要か」と聞かれて、「なんで了解が必要なんですか」と聞き返した。東京新聞8月27日社説は「周辺国の理解欠かせぬ」と問題提起している。「了解があればいいのか?」と聞きたいところだが、それ以上に危険で、問題があるテーマなのだ。
(了)
2020/08/21
メディアの「目くらまし」に注意
8月は6日、9日、15日の他に、もう一つの9日がある。国旗(日の丸)・国歌(君が代)法案が採決された日である。それまで「日の丸」は国旗ではなかった。「日の丸」の由来を調べてみた。
1673年(寛文3年) | 江戸幕府は御城米廻船に「日の丸」の幟掲揚を指示 | ||
1854年(安政元年) | 開国に踏み切った幕府は「日の丸」を日本惣船印に | ||
1931年(昭和6年) | 帝国議会、「日の丸」国旗法案上程されたが審議未了で廃案 | ||
1935年(昭和10年) | 紀元2600年記念行事。 ぼくは1932年生まれ。当時3~4歳だったが「日の丸」の小旗を振らされた記憶がある。出征するとき父は家族が署名した「日の丸」の旗を抱いていった。毎月8日の大詔奉戴日(たいしょうほうたい日。12月8日にちなんだ日)には必ず「日の丸」を持たされた。ぼくにとっての「日の丸」は、即「戦争」である。若い人たちの「日の丸」観とはここが違う。 | ||
1945年(昭和20年) | GHQ、「日の丸」掲揚はその都度許可。 | ||
1949年(昭和24年) | GHQ、その制限廃止。 | ||
1999年(平成11年) | 6月11日 | 小渕内閣、国旗(日の丸)・国歌(君が代)法案閣議決定 | |
7月22日 | 衆院可決。賛成403 反対86 | ||
8月 9日 | 参院可決 賛成166 反対71 | ||
8月13日 | 公布、即日施行 |
忘れもしない「サッチー・ミッチー騒動」
1999年といえば、ぼくがワイドショーのプロデューサー業から身を引いた翌年である。後輩の諸君に「日の丸」問題をとり上げては・・・と声掛けしてみたが無反応。理由は「右翼が怖い」である。たしかに「日の丸」といえば右翼といわれた時代がある。右翼のみなさんは、日常的に「日の丸」を掲げ「軍歌」を轟かせながら街を駆け回っていた。気に食わない番組に対しては当該のテレビ局周辺でがなりまくった。NHKとて同じであった。国会周辺でもそうだった。が、いまその右翼のみなさんの姿が見えない。モリカケ、サクラ問題からコロナ禍にいたる何から何までに「アベ政治NO!」の声が上がってるのに、右翼のみなさんの姿が見えないのは、なぜ?。
話は横道にそれてしまったが、国旗・国歌法案が上程されていたときワイドショーは何を伝えたか・・。野村監督夫人の沙知代さんと女剣劇の浅香光代さんの(何が原因だったか)口喧嘩からはまった騒ぎを延々と垂れ流しつづけた。世に「サッチー・ミッチー騒動」といわれ、やればやるだけ視聴率がいいというので、その報道は数か月続いた。その陰であっという間に「国旗・国歌法案」は通過してしまった。結果的にワイドショーは「目くらまし」の役割を果たした。
ついでに書いておきましょう
2003年。地球の果てまで自衛隊を派遣できるという「有事三法案」が国会に提案されていた時に起きたのが「タマちゃん騒動」(多摩川に出没した一頭のアザラシを追いかける騒ぎ)。視聴率がとれるというので報道番組までが中継車を出すという騒ぎになった。
その騒ぎのなかで有事法が強行採決されたのが5月15日。なぜかタマちゃんがいなくなった。「あれは陰謀ではないか」と電話をかけてきた人がいた。
2016年。甘利という大臣の金銭疑惑問題。検察の取り調べがあるかもしれないという山場の時。元プロ野球選手の清原氏が覚せい剤取締法違反で逮捕された。彼は1~2年前から目をつけられていて、いつ逮捕されてもおかしくない状況。「いつ逮捕するの?今でしょ」。その陰で甘利大臣は入院。疑惑は?解明されないままだ。
犠牲のシステム
高橋哲哉・東京大学教授の『犠牲のシステム福島・沖縄』(集英社新書)が頭にこびりついている。
日本軍国主義―不敗神話―(報道は)大本営発表―犠牲になるのは 国民。
原発主義 ――安全神話―(報道は)発表報道――犠牲になるのは 国民。
いまは ―― 忖度(そんたく)報道か。
作家の辺見庸は「言葉を奪われているのはどちらか、戦時下の記者なのか、今なのか。
今、報道規制はある それは内なる(自ら検閲する)規制 だ」と語っていた。
今、踏ん張り時だ。「正念場」だ。
2020/08/04
テレビ朝日労組、民放労連から脱退!
脱退の理由は 1)大会などでの政治的発言や方針に疑義を呈してきたが、その方針に修正や変更がなく、労連との間の溝が埋まることがなかった。2)組合費が高すぎる。である。
7月16日。民放労連中央執行委員会でテレ朝労組脱退は承認されている。
「政治的」が問題なのか?
ぼくはテレ朝の『モーニングショー』や『報道ステーション』が好きである。何が好きかといえば「歯に衣着せぬ」物言いをする人が多いからである。「民主主義」や「ジャーナリズム性」をいかんなく発揮してくれている。まさに「政治的」である。その姿勢は『報道ステーション』の前身の『ニュースステーション』時代からの伝統といっていい。この時間枠を支えているスタッフのみなさんに、改めて敬意を表させていただこう。
長い間、その『ニュースステーション』のキャスターを務めていた久米宏さんが降板することになったときの挨拶で(ちょうどイラク戦争に自衛隊を派遣するかどうかが問題になっていたときだ)「発言する場がなくなるので、もう一度申し上げておきますが、ぼくはイラクへ自衛隊を派遣するのは反対です。テレビは戦争を知らない国民をミスリードしないように」と語った。番組を去るにあたっての「遺言」といっていいかもしれない。忘れもしない(メモしてあったから)2004年3月26日だった。メディアは「警鐘を鳴らす役割」を担っている。それを支え、励まし、ともに闘うのが労働組合なのではなかったか。
脱退にはもう一つの理由があった
『報道ステーション』スタッフの大量雇い止め問題
前述したが、『報道ステーション』は多くのベテランスタッフによって支えられてきたが、そのスタッフや女性リポーターに同番組のチーフプロデューサーによるセクハラ疑惑が週刊誌に報じられたようだ。スポンサーから問い合わせがあったようだ。ここからテレ朝経営陣のあたふたがはじまったようだ。
普通なら事実関係を調査し、セクハラが事実なら相応の措置をすれば済むはずだと思うが。なぜかそんな対応をせず「情報漏洩を警戒?」して10年を超えるベテランスタッフら10人以上の大量雇い止めという暴挙に出たようだ。危機管理能力を疑わざるを得ない。
テレ朝労組も動いたそうだが、基本的には「雇い止め方針撤回」を求めることなく、スタッフのあらたな雇用先探しにとどまったらしい。スタッフの怒りは想像に余りある。
労働組合は何のために 誰のためにある?
スタッフの声を聴き、動いたのがMIC(民放労連も参加しているマスコミ文化情報労組会議)である。MICは集会をやったりスポンサー企業に対しても協力の要請をしたという。労組の頭越しにやったMICの対応にテレ朝労組が「脅威」を感じた。それが脱退理由の、実は大きな要素のようだ。
スタッフのみなさんの声を、テレ朝労組は受け止めたのか・・。受け止めたのがMICだということだ。労働組合はなんのために、誰のためにある?。テレ朝労組脱退問題は、その根源が問われる事態だと思う。
ぼくは思う。テレ朝内部にはこの一連の騒動に心痛めている人たちがいる。ぼくはそう思う。その人たちと「メディアをとりまく情勢」について話し合う機会がくると勝手に信じている。
7月の朝日川柳の一句。「痛いとこ訊かない記者に腹が立つ」
2020/06/29
ハインリッヒの法則
それは、「一つの事故が発生した場合、その背景にはインシデント(事件)には至らなかった300のイレギュラリティー(異常)があり、さらにその陰には数千に達する不安全行動と不安全状態が存在する」というものだ。小さなことを見落としていたら大きな事故につながるという教訓である。一つの例が(忘れもしない)関西の福知山線の事故。急カーブのところを速度を落とさないまま運転し脱線、そのまま線路脇のマンションに突っ込んで多数の死傷者を出した。原因は「電車を遅らせてはならない」という「規則」を優先させたためだった。JR西日本は慌てて規則を見直した。後悔先に立たずである。
「ハインリッヒの法則」は、航空機や鉄道など乗り物に限られるものではない。メディアの世界にも当てはまる。「気になっていることはどしどし言う」「忖度しない」「とことん話し合う」土壌をいまこそ取り戻す必要がある。
作家の辺見庸が言っていた。「メディアは時の流れに合わせてタクトを振る」と。「メディアがそうなら、時の流れを変えるしかない」と言われてもおかしくない。メディアの誇りを取り戻す。「いつやるの 今でしょ」。
次回は、メディアのはたした「目くらまし」について書くとしよう。
2020/06/22
海水浴場は「異例の夏」
行動の「自粛」とやらで神奈川県下の海水浴場は「2020年開設せず」となっています。
県内の海水浴場は全部で25か所。
横浜の金沢区海の公園海水浴場からはじまって三浦海岸、大浦、新井浜、和田、横堀の海水浴場。横須賀は猿島、長浜海水浴場。葉山は長者ヶ埼、一色、森戸海水浴場。逗子海水浴場。大磯海水浴場。サザンビーチちがさき。藤沢は辻堂、片瀬西浜、片瀬東浜の海水浴場。平塚は湘南ベルマーレひらつかビーチバレー。小田原は御幸の浜、江之浦海水浴場。湯河原海水浴場。真鶴は岩海水浴場。
そして鎌倉は腰越、由比ガ浜、材木座海水浴場です。
神奈川県のホームページは「残念ながら開設せず」「異例の夏の海となりそうです」と残念がっています。
▼都道府県をまたぐ「移動自粛解除」となったが・・・
そこで「移動自粛解除になったが、海水浴場開設しない方針は変えないのですか」と神奈川県に訊いてみました。
返事は、「変えない」でした。自粛解除後の判断は「各市の判断となっているが、各市とも“開設せず”に変更はないといっている」そうです。同時に「変更があったとしても、間に合わない」という判断です。
昨年の県下の海水浴場利用者は320万人でした。
▼鎌倉は?・・・
「開設せず」を考え直せないか
そこで鎌倉市役所に訊いてみました。
返事は県と同じでした。ちなみに昨年の鎌倉の海水浴客は35万5千人だったそうです。
「移動自粛解除」になりました。間もなく梅雨も明けるでしょう。
海の家業者のみなさんはどんな意見をもっているのか、このことも市に訊いてみましたら「今からとりかかっても採算がとれないといっている」そうです。
思いっきり海水浴を楽しみたい!人のために、鎌倉独自の対策を立てることはできませんかねえ。
- 利用者は、いまはやりのソーシャルなんとかでのびのび間隔をあける。
- 市は、ライフガードというのですかね、監視員を置いて安全対策をしてほしいですね。