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2023/06/05
終盤国会の課題
「岸田一家」の官邸・公邸私物化や、ガーシー前議員の帰国・逮捕は、結局、「対決的重要法案」を議論させないで通す世論の目眩ましなのか? もちろん、忘年会だの「常習的脅迫」だの、そのこと自体重要な問題なのだが、何しろ国会も最終盤に入って、重要な問題がいっぱいあるのに放置されてしまっている。
- 保険証と一体化し、銀行口座まで管理が進む「マイナカード問題」。法案は通ってしまったけれど、こんな状態で本当に実施していいのだろうか? 健康保険との紐付けは、一つ間違えば、「いのち」につながる問題なのだ。
- 外国人の人権などどう扱ってもいいんだ、と言っているような「入管法」の改悪。いわゆるマクリーン事件判決を引いて最高裁が1978年に「国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、国際慣習法上、外国人を自国内に受、特別の条約がない限り、当該国家が自由に決定することができる」という趣旨の判示をしているのが、「入国管理は憲法以前の国の権限」という理屈になって、憲法31条や13条以下、「国民に保障した人権規定」の適用を奪っているらしいが、そんな話がいま、日本国憲法下で許されるのか?
- 「脱炭素」を口実に、原発活用を「国の責務」などと言い出した原発推進5法案が、反対の声を聞きながら強行成立した。60年超の老朽原発も動かせる…。一体、福島の反省はどこに? 大手弁護士事務所と最高裁の癒着で、事故についての「国の責任」を否定させて安心して居直ったのか? 避難した人たちは帰れず、ふるさとは壊されたまま…。そんな場所をまた作っても、平気なのか?
- 軍需産業強化で、日本を「世界の兵器廠」化し、「死の商人」国家にしてしまう軍需産業支援法案。要するに、これをしないと「新しい資本主義」はできないと言うことなのか? 「兵器のスクラップアンドビルドのためには、地域戦争が必要だ」などとしたり顔で解説して見過ごすわけにはいかない。「国のかたち」に関わる問題だ。
- 「G7までに法案を」と焦って作ったはずなのに、要するに、「差別禁止」でなく「理解増進」とすり替えて平気な「LGBTQ法案」。バラバラと出る違憲判決に、国会は何も考えないのか?
- 鳴り物入りの「少子化対策」。2022年の合計特殊出生率はとうとう1.26まで低下したが、子どもや若者の生活は一向に改善されないままで、予算は先送り。根本的対策は何も打たれていない。
新聞の紙面も、テレビのニュースも、結局「面白いニュース」に占拠され、いま、何が重要な問題なのか、が伝えられていな状況になったのは、今に始まったことではない。メディア自身、商業主義の中に放り込まれ、経営、存続の危機に瀕している。
ここまできた日本…。だが絶望するわけにはいかない。気づいたことは、発言する。小さな声が、流れになり、それがいつか、力になるはずだ。
2023/05/22
軍事支援の合意に染まったG7
<G7について報じる新聞各紙>
広島市で行われた主要7カ国首脳会議(G7サミット)は、ウクライナのゼレンスキー大統領の来日で「対ウクライナ支援」に色濃く染まった。報道によると、バイデン米大統領は、ロシアの侵攻を受けるウクライナへの米国製のF16戦闘機を供与に向けて、欧州各国と共にウクライナ軍パイロットの訓練を支援する意向を示した。米国はこれまで、F16の供与に慎重だったが、姿勢を転じた。英国のスナク首相はツイッターを通じて「F16の訓練を容認する米国の判断を歓迎する」と応じ、オランダ、ベルギー、デンマークとも協力して、同軍パイロットの訓練の支援を表明した。
「核兵器を永久になくせる日に向けて共に進もう」(バイデン大統領)▽「平和のために行動することが私たちに課せられた使命だ」(仏マクロン大統領)――。G7サミット初日の19日、各国首脳は原爆資料館を訪れ、それぞれ芳名録にメッセージを残した。2日目は、異例の前倒しで首脳宣言を発表し、核軍縮について「現実的かつ実践的な方法で核兵器のない世界を実現することに関与する」と強調。そして武器供与や軍事訓練の支援を「合意」して3日間のサミットは閉幕した。
ロシアが参加していたG8サミットは1997年にスタートし、プーチン大統領がクリミア半島を一方的に編入した14年に終わりを告げた。ロシアのウクライナ侵攻は、冷戦終結後の「G7最大の危機」といわれる。だが、被爆地、広島でのサミットが、武器の供与など軍事支援の話し合いの場になっていいのか。戦争や紛争でこれ以上、命を犠牲にしてはならない。平和的解決のために、核保有国のロシアともチャンネルを持ち、戦争終結へと外交努力をすることが本来の役割ではないのか。
この間、各市民団体は「核廃絶のための具体策を示していない」など核の問題や気候危機に関する討議の曖昧さを指摘し、シンポジウムや記者会見を通じてG7を批判した。
国際社会が「平和のために共に進む」ための道筋は、核廃絶であり、それをリードするのが日本の役目。私たち市民も、各国の人々と連帯して、核廃絶の声を上げ続ける必要がある。
2023/05/16
日本テレビとNHK ともに開局70年
放送は誰のためのものか・・・
開局当時をふり返ってみるのも一興でしょう
今年は日本テレビとNHK、共に開局70年です。1952年(昭和27年)7月31日、NHKその他に先駆けて予備免許を手にしたのは日本テレビでした。開局は翌年(1953年)の8月28日です。日本にテレビが登場するきっかけはアメリカの上院議員カール・ムントの演説でした。時あたかも朝鮮戦争。ムントは、台頭する共産主義勢力に対抗するため「ラジオのVOA(ボイス・オブ・アメリカ)をテレビ化したビジョン・オブ・アメリカを世界中に設置せよ」と提案したのです。
この構想は、言ってみればテレビネットワークによって「日本を反共の防波堤」にするというものです。「その最も適切な国はドイツと日本だ」と。
ここで登場するのが正力松太郎周辺の人物でした。「この時期、ビジョン・オブ・アメリカ構想が持ち込まれたら、国内世論はかえって左傾化する恐れがある」「あなた(ムント)の計画は極めて魅力的だが、これは日本人の手で行われてこそ権威と信頼を勝ちうる。主権回復(講和条約)の前夜に立つ日本で、あなたの計画がそのまま実現されることになれば、せっかくの政治的意図が逆効果になるだろう」と。ムントは「計画を日本人自らやってくれるなら、それが何よりも望ましい」と。やがて正力の公職追放解除、開局に向けて技術も設備もドルも心配してくれることになったのです。日本テレビの正式な社名は日本テレビ放送網株式会社。「網」の字が今も気になっています。言論・報道の自由のネットワーク(網)であってほしい。
「ジャーナリズムとは権力が報じられたくない事を報じることだ。それ以外のものは広報に過ぎない」といったイギリスのジャーナリスト、ジョージ・オーウェルの言葉を改めて噛み締めています。
(仲)