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2023/12/16
「岸田総裁任期中の改憲」はつぶせるぞ、
押せ押せだ
「終わりの始まり」とはよく使われる言葉だ。「終わり」にならない場合もあり、うまく使う必要がある。しかし12月15日、「岸田政権安倍派4閣僚交代、重要党役員3人辞意」は、その予兆といえるだろう。河井元法相型の自民・柿沢議員の選挙買収への捜査着手もこの日だ。
パーティー券といういう名の財界・企業からの政治献金(もっというなら〝当方への政策的厚遇よろしく〟という名の賄賂)を通じた裏金疑惑をあばいたのは、1年前の「赤旗」日曜版の記事(22年11月6日号)だった。「キックバック」「還流」という言葉こそないが、パーティー券の裏金構造が浮き彫りにされた。これを機に、検察は1年かけて捜査の網を狭めてきたといえるだろう。真のスクープとはどういうものかを如実に示している。
筆者は11月の記事で、『AERA』11月13日号のジャーナリスト星浩氏の一文を引いた。「来年にかけて自民の政治とカネをめぐるスキャンダルが出るのではないか」という不気味な噂があるという。この直後、噂は噂でなくなった。
では岸田首相は、この事態に「24年9月の総裁任期切れ」をどう迎えようというのか。筆者はこの2年余を、「改憲」公約を軸に見つめて来た。岸田首相が①「24年9月までの改憲」を口にしながらあれこれの理由をつけてそのまま9月を迎えるのか②それとも牙をむきだしにしてしゃにむに改憲戦車を爆走させるのか。筆者は先月「ちょっと待て。なにも岸田政権が続くことを前提にする必要はない。岸田を行き詰まらせ、退陣に追い込むのだ」という視点を紹介した。いまがまさにその時だ。
来年9月まで「岸田退陣」に追い込んだとする。「自民総裁選」がある。政界常識として総裁選となれば前回総裁選の公約(たとえば4候補とも総裁任期中の3年の間に改憲を実現するといった)はいわばチャラになる。各候補とも新たに「私が総裁になれば3年の任期中に…」という。「改憲」に限って言えば、「憲法を守れ」という国民の意思と運動は改憲勢力の「計画」を崩し、後倒しにさせた。
この2年余、筆者が言い続けてきたことを改めて記す。
「改憲阻止のたたかいはこれからも続く」
「改憲勢力の執念をいささかも軽視してはならない」
(寺)
2023/11/10
岸田は憲法でも追い詰められている
岸田首相と改憲。首相応援団を構成している読売新聞にとっては小さくないテーマだろう。11月6日の読売にこんな記事が出た。「首相、任期中改憲に黄信号」。首相(自民総裁)任期の24年9月まで10カ月を切った。この間に「改憲案文合意⇒国会発議⇒国民投票(2カ月~6カ月)」。常識的には無理だろう。しかしこれまで権力側はそんな「常識」をかなり覆してきたことも確かだ。この記事は読売が改憲について気になってシグナルを送ったのか、それともさじを投げかけているのか。
この前段階で気になる記事があった。自民の大応援団・産経が出している『正論』12月号冒頭の政界論評だ。6月9日に岸田首相が渡辺恒雄読売主幹と懇談した(なお2人は開成高校同窓)ことにふれ「ナベツネさんは六月解散するだろうとみていたが、決断しきれない首相に失望したのでしょう」という関係者の話を紹介している。年内解散について9日付の朝日と読売は「先送り」と打ち出した。6日の読売記事は憲法についても岸田への後押しを弱めたのだろうか。
もう一度冒頭のテーマに戻る。常識外れを最大限警戒しつつも「10か月で改憲は無理だろう」論についてあえてその周辺の思考を分析してみる。
1)「24年9月までに改憲という思いはいささかも変わっていない。しかしそのスケジュールを総理大臣の口から言うのは控えたい」で24年9月までつきすすむ。
2)1)の変形だが「私の気持ちはいささかも変わりないが、現実に条文論議が進まない」で9月を迎える。
3)自民の一部に出た「任期中といっても24年9月とは限らない」論⇒これは秋の国会で岸田が「24年9月までの任期中に」と言わざるを得なかった。
4)「24年9月」を至上命題として「周知期間2カ月」「9月国民投票」でそれこそ「常識外れの戦車」を爆走させる。
しかしちょっと待て。以上、1)~4)はいずれも岸田政権が続くことを前提にした議論だ。なにもそれに縛られることはない。岸田を行き詰れまらせるのだ、退陣に追い込むのだ。われわれの願望だけでなく、政治情勢も日々複雑微妙に動いてる。
『AERA』11月13日号のジャーナリスト星浩の一文は「政権崩壊の可能性」がキーワードだ。なかなかの分析で岸田不人気は「首相が信頼できない」が多いことに注目する。つまり人間、人柄がだめだというのだ。しかも星諭評は「来年にかけて自民の政治とカネをめぐるスキャンダルがでるのではないか」という不気味な噂を引きつつ、失速か解散か、「どちらを選択しても政権崩壊につながりそう」と見る。いいじゃないか、改憲を許さぬわれわれの戦列は押せ押せだ。
ただし前にも書いたフレーズをもう一度。「24年9月がどうあれ、私たちの改憲阻止のたたかいはずっと続く」
(寺)
2023/11/01
とにかく、ガザも「即時休戦」を
「憲法9条に基づく外交」の立ち位置
ウクライナの反転攻勢だとか、ロシアの総攻撃だ、と言っている家に、パレスチナが火を噴き、イスラエルがガザ地区を空爆、ガザの民間人が、ほとんど「民族絶滅」の危機に置かれるという状況が続いている。31日には何と、パレスチナ自治区ガザ地区北部のジャバリア難民キャンプを攻撃、イスラム組織ハマスの幹部を含む「テロリスト約50人を殺害した」と発表した。国連総会は27日、イスラエルとパレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム組織ハマスに対し「人道的休戦」求める決議案を圧倒的多数で採択した。121カ国が賛成、イスラエルと米国を含む14カ国が反対、日本を含む44カ国が棄権した。
日本政府が棄権したことについて、岸田文雄首相は30日の衆院予算委員会で、「決議はハマス等によるテロ攻撃への強い非難や、すべての国連加盟国が国際法に従って自国および自国民を守る権利の重要性に関する言及がないなど、全体として内容面でバランスを欠いていると判断したため棄権した」と説明したが、「ガザへの人道支援供給とパレスチナ市民の保護を要求」した決議に「棄権」した事実は、「人権」よりも「政治的立場」や「自衛権」を優先したことになり、日本の姿勢としてそれで良かったのだろうか?
日本国憲法第9条の精神はもとより、日本の国の在り方として、「とにかく停戦・休戦を」と、声を大にして世界に訴えなければいけないのではないか。
上川外相は今週末にかけて現地を改めて訪問すると伝えられているが、ありがとうございました。国の在り方の問題として、外交路線の転換を求めたい。
そもそも今回、日本は、一昨年のロシアのウクライナ侵攻以来、はっきりとウクライナ擁護の立場に立ち、G7議長国であることも含めて、米国、NATOへの傾斜を強めた。
ウクライナを訪問し、オーストラリア、インドなどとともに、「クワッド」を結成、軍事的連携を強める方向へと走った。
要するに、バイデン大統領の歓呼ぶ呼ぶことに精一杯で、バイデン大統領には、「私は、日本の指導者と、広島を含めておそらく3回、異なる機会に会い、私は彼を説得し、彼自身も何か違うことをしなければならないと確信した」、「日本は、軍事予算を飛躍的に増大させた…」(6月20日、カリフォルニア州の集会)、リトアニアのG7の首脳会談では、「この男がウクライナのために立ち上がると思った人は欧米にはほとんどいなかったが」「ロシアによるウクライナ侵攻が、世界全体に影響を与えることを彼は理解していた」「彼は日本を強化した。改めて公の場で感謝したい」(7月12日)などと褒められて、調子に乗った。
しかし、いささか恥ずかしい状況なのではないか?
日本国憲法の「戦争放棄」は、日本だけのものではなく、ポツダム宣言、国連憲章と続く、戦争違法化の世界思想の流れの中での国際協約である。どんな理由があっても、無抵抗な民衆に、危険から逃れて暮らす難民にミサイルを打ち込むなどの暴挙は許されない。
パレスチナ問題については、米国も手放しでイスラエル支持できる状況にはないのが実情である。日本はこの問題については、完全に自由な立場で、「まさに力での問題解決は認めない」「とにかく、停戦、休戦によって、民衆のいのちを守れ」という立場に、立つべきではないか。
ここで、足して2で割るような解決はありえないのではないか。
(S.M)