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2022/09/17
再び「この際、解散・総選挙を」考える
── 統一協会問題のいま
「調査」ではなく「点検」だそうだが、これでお茶を濁し、収めようとした、岸田首相や自民党幹部の思惑と違って、世の中はますます「統一協会・国葬政局」の様相を深めつつある。点検結果がどうであろうと、今まで公然と、広く宣伝して、積極的にやってきたことなのだから、脱落した話がぞろぞろ出てくるのは当たり前で、メディアもここで名を上げるチャンス。まだまだ広がるのは確実だ。
本欄は、ちょうど1カ月前、8月17日付「この際、解散・総選挙を― 統一教会と手を切れない自民党」で、「国民の信頼は回復するのかどうか? そこまでメディアは追及を続けていけるのかどうか? そして、信頼をなくした自民党はどうするのか? ここまで来た以上、岸田首相は、衆院解散・総選挙で、国民の信を問うべきではないか。自民党議員を中心とした問題議員に『退陣』を求め、人心一新、国政刷新を図るためには、この際、選挙しかないのではないか」と主張した。
さすがにこのときは「いま解散などしたら、問題解明どころか、疑惑にフタをする」という意見も強かった。だが、1カ月後、サイトにも、解散・総選挙案がチラホラし始めた。
「もはや打開策は、ひとつしか残されていない。総理大臣だけが持つ、政界唯一にして最強の『宝刀』を抜く―国葬直後に衆院解散・総選挙に踏み切って、すべてをリセットするのだ」
https://gendai.media/articles/-/99653?imp=0
自民党は9月8日、党所属国会議員と統一協会(現・世界平和統一家庭連合)と関連団体との関係について「点検結果」を発表した。それによると、379人の議員中、団体との接点を認めたのは179人で、全体の47%。「関連団体の会合で挨拶」96人、「講演」20人、「会合への祝電、メッセージなどの送付」97人などの数字は公表されたが、問題になっている「秘書の派遣」や「海外の集会への招待」「選挙での票割り当て」などは明らかにされないまま。かえって疑惑を深めることになった。
選挙応援は,要員派遣や票の割り当てなど,個別に明らかにされているが、大っぴらにもされていた。9月16日付毎日新聞によると、ことし6月13日の「日本・世界平和議員連合懇談会総会」では、「参院選地方区で応援を希望する議員が居られればお書きください」と希望者を募るアンケートも配られていた。
何しろ、半世紀にわたって日本の政治と社会に大きな影響を与えてきた組織・仕組みだ。
文鮮明が統一協会(世界キリスト教統一神霊協会)を創立したのが1954年、日本の宗教法人設立が1964年7月、全国大学原理研も続いて誕生、60年安保後の大学で活動が始まった。「親泣かせの『原理運動』学生間に広がる学業放棄や家出」と朝日が報じたのが67年7月だ。
翌68年国際勝共連合結成。70年には「アジア勝共連盟総会」「世界反共連盟大会」が開かれた。各地の革新自治体誕生や自民党の衰退に、選挙の街頭演説に信者、会員を動員して圧力をかけたりした。この辺りから、「政治」への関わりが見えてくる。
そして、資金集めを露骨に見せた、壷、多宝塔、霊感商法が問題になったのは、80年代の初め。全国弁護団も結成され活動を続けてきたが、被害者自身、マインドコントロールされた中で、自覚がないところでの救済は困難の極み。いま「二世問題」がテーマになりつつある。9月16日行われた集会では、統一教会に「宗教法人の解散命令」を求める声明を採択した。
ただ、統一協会問題とは一体何なのか? メディアによる報道競争は続いているが、依然として、この問題が解明されたとは、とても言えない。考えてみれば、理想を掲げた明治維新から、富国強兵・軍国主義に走り、敗戦まで誤りを直せなかった歴史に匹敵する「思想」と「価値観」が、復活し、問い直されているとも言える。
それをじっくり考え、「政治」というものの考え方も含めて、この際、全国民のレベルで総決算する。「統一協会問題救国統一戦線政府」くらいの発想が必要ではないだろうか。そのための解散・総選挙で、政治体制の総決算を図りたい。
2022/09/03
「非戦のための改憲」への転向?
引き返せ 田原先輩!
ジャーナリストの大先輩、田原総一朗氏が「サンデー毎日」に登場した。どうやら昔の田原さんとは違う…。先輩、あなたは「転向」したのか?田原総一朗氏。簡単な形容詞としてはフリージャーナリスト、歴代首相にもれなくインタビュー(うち3人をやめさせたというのが売り)。以前は「サンデープロジェクト」、いまは月イチの「朝まで生テレビ」の司会については、時として強引な割り込みなどでなんだか困ったおじさんという印象が強い。
政治的立ち位置は複雑微妙なところがある。自民党の勉強会にもよく出ていてご意見番的である。
- ▼ かつて鋭かった「ご意見番」
- 2012年、野党だった自民党が憲法9条に自衛隊を書き込むなどの改憲案を発表、その年の総選挙で政権を取り戻し、2度目の安倍内閣となった。
13年、この年の田原氏の言論は鋭かった。『週刊朝日』4月5日号、氏の連載の見出しは「憲法9条は変えるべきでない」。内容は以下。
「太平洋戦争を体験している私としては、憲法9条の1項は変えるべきではないと確信している。当時の軍の幹部、そして政府首脳の誰一人、太平洋戦争に勝てると予測していなかった」
「それにもかかわらず、負けることが必至の戦争を始めてしまった」
「少なくとも憲法9条は変えるべきではない。そこで、3月9日にBS朝日の『激論!クロスファイア』に出演した安倍晋三首相にそのことを強く言い、安倍首相は同調した。私は安倍首相を見直した。」 - ▼ 「見直した」は甘かった
- この「見直した」がいかに甘かったか。ただこの年、田原氏は安倍政権の「秘密保護法」については敢然と立った。11月、田原氏は鳥越俊太郎、金平茂紀、大谷昭宏、岸井成格、青木理氏らとともに秘密保護法反対の横断幕を掲げて記者会見した。「言論表現の自由を守れ」が氏の譲れない一線であったことは理解できる。
ただ、上記一文で「9条の1項は変えるべきでない」と限定的にいっているのは気になった。その延長だろうか、19年になると氏の憲法論は変化をみせる。伊勢崎賢治、井上達夫両氏と『脱属国諭』を出す。早い話が9条2項を削除して「文民である首相が軍隊の最高指導権を持つ」と定めよとか、とにかく「戦争手順」なのだ。田原氏は「説得力のある主張」と持ち上げる。(週刊朝日5月31日号) - ▼ 岸田首相への提言
- 田原氏は7月の参院選後、上記本の論建てをもとに『サンデー毎日』9月4日号に登場した。岸田首相と4回話したとか、田中角栄以来30人近くの首相は「皆僕と会ってくれた」とか、お得意のフレーズのあとに「1年かけて方向性を出し、憲法改正にチャレンジしてもらう」「自衛隊を明記し、非戦条項を強化する」「再来年には実現すべきだ」とまでいう。
- ▼ どうしたのだ? 田原大先輩
- 田原大先輩どうしたのだ。
滋賀で終戦を迎えた10歳のとき、それまで聖戦と教えられてきたのが侵略戦争とわかった時の「価値転換」、これがジャーナリストの原点(「週刊朝日」14年8月29日号)ではなかったのか。15年、「集団的自衛権と改憲へと進む(安倍)首相」に右傾化反対を突き付けたのではなかったか(『安倍政権への遺言』朝日選書)。
「サンデー毎日」の見出しは「非戦のための改憲」。2項の「戦力不保持」「交戦権否定」を削除し自衛隊を書き込んで、どうして「非戦」といえるのか。
非戦を掲げるなら、まだルビコンは渡ってない。大先輩、引き返せ。安倍首相を「同調」させたというそのパッションを思い起こせ。
(了)
2022/08/29
関東大震災発生から99年
次の100年に向け、加害の歴史を直視
震災当時、関東一円に「朝鮮人が暴動を起こす」などのデマが広がり、軍隊が出動するなどして多くの犠牲者が出た。その中には中国人も含まれていた。
「過去を知るための視点の一つを提供したい」と西崎さんが2016年秋に刊行した「関東大震災朝鮮人虐殺の記録」(現代書館)は、東京の地区別にまとめた3冊の手づくり証言集が基になっている。証言集は、郷土資料や日記などから当時の様子がつづられた部分を収集したもので、「虐殺の実態が皮膚感覚で伝わってきた」という。
史実の掘り起こしは、小学校教師だった故絹田幸恵(ゆきえ)さんが、下町のお年寄りらを訪ねて地道に行っていた。西崎さんは、学生時代に絹田さんと出会い、調査活動に加わった。毎年9月に荒川河川敷で有志と犠牲者の追悼式を行い、募金を呼びかけ2009年には念願の追悼碑を建立した。
追悼式では、在日コリアンのアーティストらも、歌や伝統楽器の演奏、舞踊などで犠牲者に哀悼の意をささげる。今年は歌手の李政美(イ・ヂョンミ)さんらが、「ほうせんかの夕べ」と題するミニコンサートを開く。
一方、地震発生日の9月1日は、墨田区の都立横網町公園にある都慰霊堂で恒例の大法要が営まれる。公園内にある朝鮮人の追悼碑の前で追悼式典もあるが、小池百合子都知事は、歴代知事が送っていた追悼文を5年前から送付していない。
来年は震災から100年の節目の年。加害の歴史を直視する。過去から学んだことを、次の世代に引き継ぐ。いまを生きる私たちの大きな課題だ。