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2024/08/18
総裁選キャンペーンにごまかされるな
 岸田首相が「総裁選不出馬」を表明したことで、政局は一挙に「自民党総裁選騒ぎ」に突入した。

 以前からポスト岸田を目指していると言われていた、河野太郎、小泉進次郎、石破茂、高市早苗、野田聖子などに加えて、林芳正、上川陽子、小林鷹之、加藤勝信、斎藤健、茂木敏充などの名前が出てきている。
 「コップの中の争い」であることに違いはないが、とりあえず、総裁戦後、次期総選挙の自民党のリーダーだとすれば、誰になるかは関心を集める。
 しかし、「総裁選」を契機に政策が論じられ、あたかもそれが、「日本の針路」の既定事実であるかのように論じられるとすれば、これは自民党政治の格好の「大宣伝」。実は自民党の大戦略に載せられたことになる。

▼何の総括もない諸懸案

 総裁選が始まった政局で、もっとも重要なことは、安倍政権から岸田政権に至る自民党政権が進めた「軍拡」や、「対米追従」の外交路線、「金金」、そして「改憲」などの問題は、何の総括もされていないことだ。
 
 首相が「裏金の責任を取った」というのは、確かに自民党員や派閥に対してはそうだったかもしれないが、国民に対して、これまでの「裏カネの使い道」とか、「政治活動費の使途」が明らかにされたわけで、政治資金規正法の改正は、議員の「監督責任」が決められただけで、現行制度は温存された。

 基本的な問題である「政党助成金」も「企業献金」も手つかず。これではとても、「責任を取った」ことにはならない。
 そればかりではない。憲法と国会を無視して進めてきた「軍拡」「対米追従」「改憲」については、何の反省もない。

戦後日本を支えてきた、「政府の行為によって再び戦争の惨禍をもたらさない」(憲法前文)という精神は、「非戦・非武装」の9条によって支えられ、「専守防衛」「非核3原則」「武器輸出の禁止」「防衛費GNP(GDP)1%枠」などで、辛うじて保たれてきた。

 しかし、岸田内閣は米国の対日政策に沿って、敵基地攻撃が可能な攻撃型兵器を持ち、防衛産業の育成、外国との戦闘機の共同開発まで推進し、自衛隊の活動領域も、韓国、オーストラリア、フィリピンからインドまで広げた。

 米国と日本を基軸にした「格子型」と称する軍事同盟で、中国封じ込めを狙う「戦後日本の安保政策の大転換」を成し遂げ、在日米軍との間に「共同司令部」をつくるところまで進んできた。

▼「戦後安保政策の大転換」

 バイデン米大統領は、安倍政権を引き継いで、日本の「対米従属・軍事強化」路線の岸田首相を賞賛してきた。
 「私は3度にわたって、防衛費の増額を働きかけ説得した」(昨年6月20日、カリフォルニアの支持者集会)
 「話す予定はなかったが、言わせてほしい。この男が立ち上がり、ウクライナを支援すると思った人は、欧州や北米にはほとんどいなかった。だが彼は防衛予算を増やし、日本を強化した。改めてこの公の場で感謝したい」(昨年7月12日リトアニア・ビリニュスのG7ウクライナ支援会議)
その結果、岸田首相は、米国に国賓待遇で招かれ、ことし4月11日議会の上下両院会議で演説した。

 「日本は長い時間を掛けて、内向きの同盟国から変化を遂げ、米国に対する地域のパートナーから、グローバルのパートナーになった」「あなた方は一国ではない。私たちがいるYou are not alone. We are with)」
日米は、ここで在日米軍と自衛隊の指揮体制の強化、一体化について協議し、7月には「核抑止」を含めた「拡大抑止体制」と、指揮体制についても確認している。

 岸田首相は、こうした「安保政策の大転換」を、国会も抜き、憲法も無視して、成し遂げた。米国にとって、岸田首相は、「ご苦労さん。交代して…」であり、こんどは、戦後の精神や反戦の空気を知らない、親米派の若い指導者に日本を託したいのだろう。

 岸田退陣表明を受けたホワイトハウスは8月14日、国家安全保障戦略の改定やウクライナへの支援を挙げ、日米韓3か国の協力について「新時代を切り開く歴史的な一歩を踏み出した」「日米同盟は、協力して新たな高みに引き上げた」と強調した。

 米国にとって、「日本を英国と同じ程度の同盟国にする」(2007年2月、第2次アーミテージ・ナイ報告)という路線は、岸田退陣―新政権誕生で間違いなく一歩進むことをめざす。自民党総裁選は「転換した日本・キャンペーン」のスタートにされかねない。

▼「看板掛け替え」にごまかされるな

 「どちらがいいか」「誰ならいいか」という程度の問題ではない。メディアは冷静に、自民党の政策を見詰め、報道、批判していかなければならない。
 自民党はこれまで、常に「改革」を掲げて「看板」を掛け替え、国民を欺いて、分断し、弱者をダシにした「反国民的政治」=「新自由主義政策」を貫徹してきた。

 今回も、国会での議論を避け、閣議決定を多用し、憲法に反する施策を積み重ねてきたが、いよいよ具合が悪くなって「看板掛け替え」が狙われている。

 「平和国家を捨てて、軍事国家造り」(米誌「タイム」昨年5月22、29日号「日本の選択」)を進める中で、「化けの皮」が剥がれて行き詰まり、裏金で国民の信頼を失った自民党の究極の「看板掛け替え」だ。

 しかし、投票権がない一般国民として、取り敢えず要求したいのは、野党とか反体制とか言わなくても、明らかに世論に背を向けた政策の是正だ。

 例えば、いまの自民党の政策を踏襲したにしても可能な具体策、「裏金議員の全額調査報告」、「核兵器禁止条約への参加」、「非核三原則・核廃絶の確認」、「原発依存からの脱却」、「企業団体献金の禁止」、「日米地位協定の改定」、「夫婦別姓」など。
 これらは、自民党としてはスルーしたとしても、新聞論調の多くで批判され、世論は認めていないし、日本の将来に直接関わる問題だ。

 現実的に日本の「革新」を進めるために、「看板掛け替え」にごまかされることなく、国民的要求を高めて、みんなが「自民党ノー」の声を出さなければならない。
(S.M)

2024/08/15
敗戦の日に思う
「劣化」が進む日本
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慰安婦問題について「被害女性の尊厳の回復を考えた真の解決を」と話す池田恵理子さん
=アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」で
 日本は8月15日、敗戦から79年を迎えた。日本の植民地政策とそれに続く戦争への突入。戦争の時代、自身の尊厳を傷つけられた女性が、アジアはもとより国内にもいたことを記しておきたい。
 敗戦の日を前にした8月14日、東京の西早稲田にあるアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)で追悼のつどいが開かれた。
 韓国の故金学順(キム・ハクスン)さんが初めて「慰安婦」の被害を名乗り出たのが1991年8月14日。それにちなんでこの日を「日本軍『慰安婦』メモリアル・デー」と名づけ(2012年12月に決定)、毎年、世界各国でさまざまな行事が行われている。韓国では18年、「日本軍慰安婦被害者をたたえる日」として法定記念日になったという。
 同ミュージアムでは17年から追悼のつどいを開催し、この1年の間に亡くなった被害女性の冥福を祈っている。今夏は中国やフィリピンの女性たちの遺影が飾られ、参列者が花を手向けた。
 無念のうちにこの世をさった女性たち。年を経るごとにその遺影の数が増えていく。
 日韓両政府は2015年、慰安婦問題について合意した。その内容は、日本政府による元慰安婦支援財団への約10億円の一括拠出▽慰安婦問題での相互非難の抑制▽ソウルの日本大使館前にある慰安婦の少女像の撤去に韓国政府が努力する――などだ。
 「戦時性暴力」に視点をあてた同ミュージアムは05年に設立された。元館長の池田恵理子さん(74)は「女性たちが求めてきたのは事実認定と賠償であり、自身の尊厳の回復だった。だが、日本政府はその声に真摯(しんし)に応えなかった。メディアも萎縮し、人々の意識からこの問題を消し去るような流れに乗ってしまった」と指摘。「wamのような活動をはじめ、私たちはあらゆる手段でこの史実を伝えて行かなければいけない」と言い、「10代、20代の若い世代の中に、戦時性暴力の問題に興味を抱く人がいることに希望を見いだす」という。
 舞台の世界では、劇団青年座が、敗戦直後、東京を中心に各地に設置された「特殊慰安施設協会」(RAA)に光を当てた。
 RAAは「レクリエーション アンド アミューズメント アソシエーション」の略。敗戦による占領で不安にかられた日本政府は、進駐軍の米兵らの相手をする慰安施設を設置するよう警察などに指示した。「特別女子従業員」「進駐軍サービスガール」などの名称で従事する女性を募集した。生活のために応募した女性たちは、性的慰安と知らされないまま施設に送り込まれた。
 「RAA―進駐軍特殊慰安所―」と題して8月初旬、東京で上演された朗読劇では、慰安施設で過酷な日々を過ごした女性たちの悲痛な叫びが語られる。連合国軍総司令部(GHQ)が日本の公娼制度の廃止を決定したのを受け、RAAは46年3月下旬に閉鎖され、女性たちは何の保障もなく放り出された。
 台本と演出を手がけた伊藤大さん(62)は「国体護持の名の下で行われたゆがんだ国策が、いまの日本の劣化と結びついている」と語った。
 貧困問題が深刻化するなかで、防衛費の倍増を打ち出す日本政府。平和憲法はまさに瀕死(ひんし)の状態だ。
 パリ五輪の好成績に浮かれていられるのも平和があってこそ。「劣化」が進むこの国の未来を真剣に考えなければいけない。
(M・M)
2024/08/14
改憲の「大音響」とのたたかいだ
(岸田退陣表明にもふれて)
 「通奏低音」という音楽用語がある。バロック音楽に端を発し…などと説明されるが、比ゆ的に使われると「物事の根底にあって知らない間に全体に影響を与えるような雰囲気」(日本国語大辞典)となる。この秋の自民総裁選、誰にせよ新総裁の下で今年中にある可能性がある総選挙(そこで自公を少数に追い込みたいのだが)への通奏低音になっているのが「改憲」だと、少し前までは思っていた。

 今年の通常酷寒中に改憲派は発議できなかった。われわれはひとまず「岸田総裁任期中(24年9月まで)に改憲」を阻止した。まずは勝利した、と私も書いた。

 もちろん岸田も改憲派も自民党全体も黙っていない。最重要ラインは岸田と3年前はそれを後押しした麻生の関係だ。情報誌『選択』8月号が興味深い話を紹介している。国会終盤直前、「岸田は6月18日の麻生との会食で『私の手で憲法改正をやりたい』と伝え、麻生も「いいんじゃねぇか」と賛意を示した」というのだ。改憲は麻生をつなぎとめる重要な環なのだ。

 これを裏付けるような記事があった。「岸田氏再選へ改憲利用?」(毎日新聞7月13日付)。7月11日に改憲に向けた自民党ワーキングチームの第2回会合を開いた。「保守層のつなぎ留めができる政策はいま、憲法ぐらいしかない」という閣僚経験者の発言も紹介している。

 8月に入り事態は急激に動き出す。広島・長崎原爆の日に挟まれた8月7日、岸田は自民党改憲実現本部(古屋圭司本部長)の会合に乗り込み、「9条への自衛隊明記」をより前面に出し、災害時などの議員任期延長とともに大号砲を放った。もちろん総裁選、その後の解散・総選挙時の一大争点化も意図している。改憲と言えば、もちろん岸田だけではない。石破も小泉進次郎も高市早苗も負けてはいない。一斉に改憲の太鼓を打ち鳴らす。

 ここで冒頭の通奏低音に戻る。もはや「低音」ではなくなった。われわれは改憲勢力の流す「大音響音」とたたかっていかねばならぬ。

 われわれの依拠するものはあるか。ある。何よりも「改憲必要なし」の世論だ。さまざまなデータがあるが、「戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター」が出した声明からいくつか引く。*JNN8月の世論調査で「次の総理に最も重点的に取り組んでほしい課題」に「憲法改正」は最小の1.7%*今年5月の朝日世論調査では、憲法9条があるから「日本は戦争をしないですんできた」8割。あとはこの世論を基盤にそれを決定的に大きくしていく運動だ。

 とここまで書いてアップしようと思ったら14日午前11時半の岸田総裁選不出馬会見だ。ただこの原稿を変える必要はないと思う。今後の何人かの立候補表明の中でいやがおうにも高まる「改憲大合唱・大音響」に立ち向かい、押しつぶしていこう。その先の総選挙は遠くはない。
(寺)
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