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2022/06/03
長崎市幹部による性暴力事件
原告の女性記者が勝訴
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<判決後に開かれた記者会見の様子=NHKのニュースより>
 報道機関に勤める女性記者が、長崎市の幹部(当時)に性暴力を受け、市に損害賠償を求めた、長崎市性暴力訴訟で、長崎地裁は5月30日、約1975万円を支払う判決を言い渡し、原告の女性記者が勝訴した。この訴訟では、市幹部が自死し、管理者である市の責任を認められるか否かが注目された。判決は、市幹部による性暴力は、職権を乱用したもので、記者は業務(取材活動)中だったことを認めるなど、画期的な内容となった。
 事件は2007年に起きた。この幹部は、国際的に注目される原爆行政をつかさどる立場(原爆被爆対策部長)にあった。女性記者は、8月9日の平和祈念式典に関連することを確認するよう指示を受け、この幹部に連絡を取ったところ、「いまから会おう」と言われ、被害に遭った。
 事件後、女性記者は体調を崩し、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の診断を受けた。性暴力の被害者が「拒否すれば防ぐことができた」などと非難される二次被害(二次加害という人もいる)は後を絶たない。この女性記者も例外ではなかった。幹部の同僚らが虚偽の内容を流布し、インターネット上でも中傷を受けた。
 事件から約3カ月後に幹部が自死し、「事実関係を明らかにできない」と市はあいまいな態度を取り続けた。女性記者は09年、日弁連に人権救済の申し立てをした。日弁連は14年、女性記者に非があるかのような事実に反する風説が流布されることで、さらなる「精神的苦痛を強いられる二次被害」があったなどと指摘した。市に謝罪と再発防止策を求める勧告を行ったが、市は受け入れを拒否。女性記者は、事件から12年を経た19年、提訴に踏み切った。「必要な情報を得て市民に伝える。その職務を果たすために私たちは働いていることを、裁判を通して世の中に知らせたかった」。提訴後に語った言葉だ。記者やジャーナリストへの暴力は、報道の自由の侵害と密接に関わる。
 加害者の処罰について日本は、性犯罪の立証責任を被害者側が負わなければいけないという問題がある。この女性記者は、弁護士や支援者らに支えられて、この壁を打ち破った。けれども、本来、こうした立証責任は、加害側が追うべきものだ。
 控訴期間は2週間。市が控訴した場合、裁判は福岡高裁に持ち込まれる。裁判が長引けば、被害者の苦しみはさらに続く。
 平和とは単に戦争のない状態ではない。人々の自由や尊厳が守られ、性暴力のない社会をつくることは、「平和都市」をかかげる長崎市の大事な任務だ。
2022/05/31
正念場の夏!
われら青春真っただ中
なんとしても改憲阻止を!
最近、『青春』という詩(サミエル・ウルマン)を発見しました。
その一節を紹介します。
  人は信念と共に若く 疑惑とともに老いる
  人は自信と共に若く 恐怖と共に老いる
  希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる
 青春とは人生の「ある期間」をいうのではなく、「こころの様相」をいうのだそうです。すぐれた想像力、たくましい意思、燃える情熱、怯懦(きょうだ)を退ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心。そんな「様相」を青春というそうです。
70歳であろうと16歳であろうと、理想を失った時、老いが訪れるのだそうです。
 「憲法を変えさせない!」「戦争する国にさせない!」「平和を、いのちを、くらしを守る!たくましい意思、燃える情熱」をもっているわたしたち。まさに「青春ど真ん中」です。

▼ 間もなく日本の針路をきめるといっても過言ではない参議院議員選挙です。
ぼくの住む神奈川での前回参院選の結果は
投票率  48.73% 
投票総数 3.728.000人。
棄権   3.923.000人
解せないのはメディアが果たした役割です。選挙戦の真っ只中に「改憲政党3分の2の可能性」と。
それがどんな効果を生んだのか・・・。「どうせ投票に行っても変わらない」という無力感を生んだのではないか。
昨年の「選挙報道量」。衆議院選挙報道より自民党総裁選の方が多かった。それがどんな効果を生んだのか。メディアの皆さん。そんな分析をおやりになったことはありませんか。
「政府が右と言っているのを左と言うわけにはいかない」と言ってのけたのは籾井というNHK会長でした。NHKさん。自民党報道局になり下がるのは、もうやめませんか。

▼ これ以上あれこれ申し述べることはやめて、順不同で、いろんな方々の言葉を並べてみます。

〇「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となります」
(ヴァイツゼッカ―・元西ドイツ大統領)

〇「戦争はある日突然に天から降ってくるものではない。長い長いわれわれの“知らん顔”の道程の果てに起こるものなんである。いくら非戦を唱えようが、それはムダだと思ってはいけないのである。そうした“あきらめ”が戦争を招き寄せるものなんである」
(作家・半藤一利)

〇「自由はある日突然なくなるものではない。徐々に蝕まれ、気づいたときにはすべてが失われている」
(宮澤喜一・元首相)

〇「言葉を奪われているのはどちらか。戦時下の記者なのか、今なのか」
「言論規制はある。それは内なる規制(自己規制)だ」
「メディアは時の流れに合わせてタクトを振る」
(作家・辺見庸)

〇「ジャーナリズムとは,報じられたくない事を報じるものだ。それ以外のものは広報にすぎない」
(イギリスの作家・ジャーナリスト ジョージ・オーウェル)

〇「この国の憲法九条を知っているかい。戦争はしない、戦争に加担しない。愛と平和なんだ。まるでジョン・レノンの歌みたいじゃないか」
(2005年 忌野清志郎)

〇「戦争を知っている奴が世の中の中心であるかぎり日本は安全だ。戦争を知らないやつが出てきて日本の中核になったとき、怖いなあ。絶対戦争なんかダメだ。だから経験者が戦争の悲惨さを教えてやれ」
(元首相・田中角栄)

〇「今の日本を支配している権力者は戦争を知らないし、体験もしていない。戦争は国民を苦しめ、痛めつけ、最後には殺してしまう。国民はハガキ一枚で招集されて、死ねと言われて死ななくてはいけない。そんなそんな恐ろしくて残酷な体験をこの国は77年前までしていた。そのことをぼくたちは繰り返しおもいださなくてはいけない」
(映画監督・山田洋次 1931年生まれ91歳)

〇「選挙に行こう💛投票しよう。
いま私たちはしっかり考えて行動しなければいけない時です。戦争をする国になってはいけない。憲法9条を守って、武器ではなく対話で平和な世界をつくっていきたい。私は強くそう思います。はじめて選挙権を持つ十代の皆さんもぜひ投票して、あなたの思いを・考えを一票に託してください」
(女優 吉永小百合)

〇「いま、少年時代に味わったのと同じ“風”を感じます。いざことが起きれば“国を守れ”と叫ぶ一人の権力者に大勢が傾く危うい気配があります。そして、始まるとなかなか止められない。犠牲になるのはいつも庶民です。しかし、最大の抑止力は戦争を起こさないための話し合い。外交です。それしかありません」
(俳優・仲代達也 1932年生まれ90歳)
2022/05/22
改憲4党に批判集中を
いつの間にか、九条改正論議!
 制定75年の憲法記念日を迎えた有明の集会で、「日本国憲法9条はいま、戦後最大の危機を迎えています!」と声をあげたのは、改憲問題法律家6団体連絡会の大江京子事務局長。大江さんは、ウクライナ危機に便乗して、自民党などが「9条では国は守れない」とキャンペーンしていることを上げたのだが、5月12日、19日の憲法審査会で、自民党の九条への自衛隊明記論に関連して、自民、公明、維新、国民の各党・会派が、憲法審査会を舞台に、改憲を動かそうと画策していることが明らかになった。

▼乱暴な9条改正論議
 新聞各紙は「9条改憲、各党違い鮮明 参院選控え、本格議論 衆院憲法審」(毎日)「衆院憲法審で9条議論 自、維『自衛隊明記を』 立民など反対『否決なら自衛隊違憲に』9条で論議」(東京)=いずれも13日付、「自民ペース、改憲議論盛ん 審議13回、維新も9条改正案 衆院憲法審査会」(朝日、20日付)などと取り上げ、アピールに努めている。しかし、この審議、憲法審査会でのルールに反した乱暴な議論だ。
 参院選を前に、立憲野党の統一を壊し、逆に9条改憲の足がかりを作ろうという画策を許すわけにはいけない。改憲4党のタッグに警戒を強めよう。

▼壊される「話し合い方式」
 そもそも憲法審査会は、改憲案発議のための期間として生まれているが、それだけに発足当時の中山太郎会長の提案「中山方式」で、単純な多数決による国会運営はしないことを約束、審議についてもたの委員会とは違う運営が心がけられてきた。ところが、昨年の国会で「改憲手続き法」(国民投票法)では、「CM規制などについては概ね3年をメドに結論を得る」との付則が作られた修正が行われた。
 ところが、この修正について議論するどころか、自民党はそれをつまみ食いした修正案を提出。参院選前に、問題を「解消」しようと画策。一方で「自由討議」と称して、審議会を開いて持論のPRに努める、と言う対応を始めている。油断すれば、いつ「取りまとめ」と称して、多数決で、議論をまとめかねない状況だ。

▼自民党にすり寄る「改憲4党」
 昨年秋の総選挙後の情勢ではっきりしてきたことは、①「維新の会」が自民党の改憲案に同調し、ほぼ同一の自衛隊明記路線を明らかにしたこと、②国民民主党が予算に賛成するなど、ほぼ完全に「与党路線」に踏み切ったこと、③公明党が「九条堅持」から、北側一雄・公明副代表が「個人的意見」としながら「自衛隊の統制明記」を言い出すなど、「揺れ始めている」こと―など。
 この結果、市民連合と党の政策合意は、5月9日、シンポジウムで「合意」できたものの、「国民」「れいわ」は不参加のまま。現場の1人区各区での統一論議に委ねられることになった。各地での市民連合の役割がますます大きくなった、とも言えそうだ。
 
 それにしても、メディアの扱いはひどい! 市民連合と立憲野党の「合意」は、ほとんど伝えず、「改憲4党」の「憲法9条論議」は、批判抜きで大きく扱う。一体これでいいのだろうか?
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