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2022/09/23
「安倍国葬やめろ!」の声は
広がり続けています!

▼ 朝日新聞(9月22日)の川柳欄にこんな句が載っていました。
「自民にも骨のある人おるんやな」(岐阜県 清水朋文)
 自民党のどなたかと思っていましたら、わかりました。かねてから「骨のある人」と注目していた村上誠一郎さんでした。村上さんは自民党所属の衆議院議員(12期)、自民党愛媛県連の会長、元行政改革担当大臣。9月21日、安倍元首相の国葬を欠席することを明らかにしましたよ。ついに自民党現職議員から、国葬欠席の声が上がりました。
村上議員のことば、「国民を代表する立法府の議員としてはこの際、国葬は欠席するしかないではありませんか」。いいですねえ。普通の言葉で普通にお話しなさっています。

▼ 23日の東京新聞一面。自民党内からも「国会決議を」「国会の関与必要」というタイトルで “安倍晋三元首相の国葬に関し、国会の関与がないのはおかしいとの批判がやまない。岸田政権は国葬実施を内閣の一存で閣議決定したが、自民党内からも疑問の声が出ている。法律の専門家である衆院法制局と衆院憲法審査会事務局は、憲法の趣旨を踏まえ「国会関与が求められている」との見解を示しました。

▼ 27日国葬実施への批判は大きくなるばかりです。国葬中止!今からでも遅くはありません。60年安保に対する「7社共同宣言」の轍をふんではなりませんね。
 27日は各地で「国葬中止!」の行動が展開されます。ぼくは14時、国会正門前にいきまーす。

▼ マスコミ各社に「国葬出席の説明を求めます」という意見書が出されました。ぼくも署名人の一人でした。注目していましたが欠席する社はゼロでした。
 ところがどっこい、朝日新聞と東京新聞が「社長の参列を断念」したそうです。各社横並びで、まるで60年安保のときの「7社宣言」の再現かと思わせられていましたが、ここでも「骨のある社おるんやな」。 後に続く社は……?

▼ ぼくの住む鎌倉でも「国葬」撤回求めた意見書。鎌倉市議会が可決です。
意見書は「国葬に明確な法的根拠がない以上、国会で議論が尽くされるべき」「政府が国葬を国費で行うことは、一方的な評価、価値観を国民に強いることになる」と批判し、「国葬」撤回を求めていました。提出したのは16の市民団体の連名。提出日は8月26日。
 結果は議長を除く市議25人中、日本共産党の3人を含む12人が賛成し、自民、公明両党の5人が反対。8人が退席。9月11日に可決されました。

▼ ポイントは党派を超えた市議のみなさんが「ふらふらしている市議」にねばり強く説得したことです。その議員の感想は「8人が賛成に回っていれば可決できなかった」「まさに市民と市議のタックルで可能になりましたね」です。
鎌倉でも、市民とこころある市議さんたちの共同を実感できた一瞬です。
 ロシアでも市民が動き始めたようですね。秋から冬、おもしろくなりそうです。
(仲)

2022/09/17
再び「この際、解散・総選挙を」考える
── 統一協会問題のいま

 「調査」ではなく「点検」だそうだが、これでお茶を濁し、収めようとした、岸田首相や自民党幹部の思惑と違って、世の中はますます「統一協会・国葬政局」の様相を深めつつある。点検結果がどうであろうと、今まで公然と、広く宣伝して、積極的にやってきたことなのだから、脱落した話がぞろぞろ出てくるのは当たり前で、メディアもここで名を上げるチャンス。まだまだ広がるのは確実だ。

 本欄は、ちょうど1カ月前、8月17日付「この際、解散・総選挙を― 統一教会と手を切れない自民党」で、「国民の信頼は回復するのかどうか? そこまでメディアは追及を続けていけるのかどうか? そして、信頼をなくした自民党はどうするのか? ここまで来た以上、岸田首相は、衆院解散・総選挙で、国民の信を問うべきではないか。自民党議員を中心とした問題議員に『退陣』を求め、人心一新、国政刷新を図るためには、この際、選挙しかないのではないか」と主張した。
 さすがにこのときは「いま解散などしたら、問題解明どころか、疑惑にフタをする」という意見も強かった。だが、1カ月後、サイトにも、解散・総選挙案がチラホラし始めた。
 「もはや打開策は、ひとつしか残されていない。総理大臣だけが持つ、政界唯一にして最強の『宝刀』を抜く―国葬直後に衆院解散・総選挙に踏み切って、すべてをリセットするのだ」
https://gendai.media/articles/-/99653?imp=0

 自民党は9月8日、党所属国会議員と統一協会(現・世界平和統一家庭連合)と関連団体との関係について「点検結果」を発表した。それによると、379人の議員中、団体との接点を認めたのは179人で、全体の47%。「関連団体の会合で挨拶」96人、「講演」20人、「会合への祝電、メッセージなどの送付」97人などの数字は公表されたが、問題になっている「秘書の派遣」や「海外の集会への招待」「選挙での票割り当て」などは明らかにされないまま。かえって疑惑を深めることになった。
 選挙応援は,要員派遣や票の割り当てなど,個別に明らかにされているが、大っぴらにもされていた。9月16日付毎日新聞によると、ことし6月13日の「日本・世界平和議員連合懇談会総会」では、「参院選地方区で応援を希望する議員が居られればお書きください」と希望者を募るアンケートも配られていた。

 何しろ、半世紀にわたって日本の政治と社会に大きな影響を与えてきた組織・仕組みだ。
 文鮮明が統一協会(世界キリスト教統一神霊協会)を創立したのが1954年、日本の宗教法人設立が1964年7月、全国大学原理研も続いて誕生、60年安保後の大学で活動が始まった。「親泣かせの『原理運動』学生間に広がる学業放棄や家出」と朝日が報じたのが67年7月だ。
 翌68年国際勝共連合結成。70年には「アジア勝共連盟総会」「世界反共連盟大会」が開かれた。各地の革新自治体誕生や自民党の衰退に、選挙の街頭演説に信者、会員を動員して圧力をかけたりした。この辺りから、「政治」への関わりが見えてくる。
 そして、資金集めを露骨に見せた、壷、多宝塔、霊感商法が問題になったのは、80年代の初め。全国弁護団も結成され活動を続けてきたが、被害者自身、マインドコントロールされた中で、自覚がないところでの救済は困難の極み。いま「二世問題」がテーマになりつつある。9月16日行われた集会では、統一教会に「宗教法人の解散命令」を求める声明を採択した。

 ただ、統一協会問題とは一体何なのか? メディアによる報道競争は続いているが、依然として、この問題が解明されたとは、とても言えない。考えてみれば、理想を掲げた明治維新から、富国強兵・軍国主義に走り、敗戦まで誤りを直せなかった歴史に匹敵する「思想」と「価値観」が、復活し、問い直されているとも言える。
 それをじっくり考え、「政治」というものの考え方も含めて、この際、全国民のレベルで総決算する。「統一協会問題救国統一戦線政府」くらいの発想が必要ではないだろうか。そのための解散・総選挙で、政治体制の総決算を図りたい。
2022/09/03
「非戦のための改憲」への転向?
引き返せ 田原先輩!
 ジャーナリストの大先輩、田原総一朗氏が「サンデー毎日」に登場した。どうやら昔の田原さんとは違う…。先輩、あなたは「転向」したのか?
 田原総一朗氏。簡単な形容詞としてはフリージャーナリスト、歴代首相にもれなくインタビュー(うち3人をやめさせたというのが売り)。以前は「サンデープロジェクト」、いまは月イチの「朝まで生テレビ」の司会については、時として強引な割り込みなどでなんだか困ったおじさんという印象が強い。
 政治的立ち位置は複雑微妙なところがある。自民党の勉強会にもよく出ていてご意見番的である。
▼ かつて鋭かった「ご意見番」
 2012年、野党だった自民党が憲法9条に自衛隊を書き込むなどの改憲案を発表、その年の総選挙で政権を取り戻し、2度目の安倍内閣となった。
 13年、この年の田原氏の言論は鋭かった。『週刊朝日』4月5日号、氏の連載の見出しは「憲法9条は変えるべきでない」。内容は以下。
「太平洋戦争を体験している私としては、憲法9条の1項は変えるべきではないと確信している。当時の軍の幹部、そして政府首脳の誰一人、太平洋戦争に勝てると予測していなかった」
「それにもかかわらず、負けることが必至の戦争を始めてしまった」
「少なくとも憲法9条は変えるべきではない。そこで、3月9日にBS朝日の『激論!クロスファイア』に出演した安倍晋三首相にそのことを強く言い、安倍首相は同調した。私は安倍首相を見直した。」
▼ 「見直した」は甘かった
 この「見直した」がいかに甘かったか。ただこの年、田原氏は安倍政権の「秘密保護法」については敢然と立った。11月、田原氏は鳥越俊太郎、金平茂紀、大谷昭宏、岸井成格、青木理氏らとともに秘密保護法反対の横断幕を掲げて記者会見した。「言論表現の自由を守れ」が氏の譲れない一線であったことは理解できる。
 ただ、上記一文で「9条の1項は変えるべきでない」と限定的にいっているのは気になった。その延長だろうか、19年になると氏の憲法論は変化をみせる。伊勢崎賢治、井上達夫両氏と『脱属国諭』を出す。早い話が9条2項を削除して「文民である首相が軍隊の最高指導権を持つ」と定めよとか、とにかく「戦争手順」なのだ。田原氏は「説得力のある主張」と持ち上げる。(週刊朝日5月31日号)
▼ 岸田首相への提言
 田原氏は7月の参院選後、上記本の論建てをもとに『サンデー毎日』9月4日号に登場した。岸田首相と4回話したとか、田中角栄以来30人近くの首相は「皆僕と会ってくれた」とか、お得意のフレーズのあとに「1年かけて方向性を出し、憲法改正にチャレンジしてもらう」「自衛隊を明記し、非戦条項を強化する」「再来年には実現すべきだ」とまでいう。
▼ どうしたのだ? 田原大先輩
 田原大先輩どうしたのだ。
 滋賀で終戦を迎えた10歳のとき、それまで聖戦と教えられてきたのが侵略戦争とわかった時の「価値転換」、これがジャーナリストの原点(「週刊朝日」14年8月29日号)ではなかったのか。15年、「集団的自衛権と改憲へと進む(安倍)首相」に右傾化反対を突き付けたのではなかったか(『安倍政権への遺言』朝日選書)。
 「サンデー毎日」の見出しは「非戦のための改憲」。2項の「戦力不保持」「交戦権否定」を削除し自衛隊を書き込んで、どうして「非戦」といえるのか。
 非戦を掲げるなら、まだルビコンは渡ってない。大先輩、引き返せ。安倍首相を「同調」させたというそのパッションを思い起こせ。
(了)
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