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2022/08/17
この際、解散・総選挙を
―― 統一教会と手を切れない自民党

内閣改造、だが汚染閣僚8人
 統一教会問題と国葬問題がメディアを騒がせている中、岸田文雄首相は、予定を1カ月も前倒しして、8月10日、内閣改造を断行。.第2次岸田改造内閣が発足した。
 広がる一方の統一協会問題を吹き飛ばそうとした改造だったはずだが、もくろみは完全に外れて、統一教会との関係が明らかになったのは、閣僚は、寺田稔・総務相、葉梨康弘・法務相、西村明宏・環境相、岡田直樹・沖縄北方担当相、秋葉賢也・復興相、加藤勝信・厚労相、林芳正外相、高市早苗・経済安保担当相の8人。さらに副大臣、政務官まで加えると、関係者は、54人中何と24人に上った。記事によると、岸田文雄首相にもアンケートが送られたが、回答がなかったそうだ。

信頼なくした自民党 人心一新を
 このままの状態で、秋の政局、例えば、8月25日告示、9月11日投開票の沖縄知事選、27日の安倍元首相国葬に向かっていくのかどうか? それで、日本の政治と社会が動いていくのかどうか? 国民の信頼は回復するのかどうか? そこまでメディアは追及を続けていけるのかどうか? そして、信頼をなくした自民党はどうするのか? 
 ここまで来た以上、岸田首相は、衆院解散・総選挙で、国民の信を問うべきではないか。自民党議員を中心とした問題議員に「退陣」を求め、人心一新、国政刷新を図るためには、この際、選挙しかないのではないか。

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関係絶てず …国葬も
 岸田首相は「閣僚にはそれぞれ当該団体との関係を点検し、その結果も踏まえて厳正に見直すことを厳命し、それを了解した者のみを任命した」はずだったが、留任の山際大志郎経済再生相などは、メディアに指摘されていたにもかかわらず、「調査中」に改造がぶつかったとの説明で、「総理がご存じかどうかわかりません」と言う始末。要するに、首相には、「厳命」どころか、「やる気」はないのではないか。結局、統一協会=勝共連合=原理運動との関係は、「修正」はあっても「関係を絶つ」気はないのだ。
 「国葬」についても、反対する世論が広がっているが、こちらも、どんなに反対が強くても、中止する気はない。「法律にない」といわれ、「民主的な決め方でない」といわれても、「説明」する気などはない。

焦点は疑惑団体と政治
 統一協会問題は、安倍元首相が銃撃される、と言う衝撃的な事件を受けて、実行犯とされた山上徹也が「統一協会の幹部を狙った。安倍元首相は関係者だと考えて狙った」との報道で、メディアが一斉に動き、一挙に政治問題になった。
 ところがその統一協会。ざっと50年前から、いくつかの顔と名前を使いながら、自民党や、自民党議員や、岸、安倍元首相や側近たちと密接な関係にあったことが、次々明らかになってきた。まさに1967年の文鮮明、笹川良一、白井為雄(児玉誉士夫代理)の本栖湖会談、69年の勝共国民運動東京大会、70年の「WACL(World Anti-Communism League=世界反共連盟)日本大会」以来、綿々と続いている自民党と「協会」の関係も次第にはっきりしてきたのだ。

「説明不足」は90%
 共同通信が、改造後の10、11両日に実施した全国緊急電話世論調査では、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と自民党国会議員との関わりについて、自民党や党所属議員の「説明が不足している」との回答は89・5%に上った。「十分に説明している」は6・9%にとどまった。
また、閣僚と旧統一教会との関係に対する懸念が払拭されたかという質問でも、76%が「払拭されたと思わない」で、「払拭されたと思う」は13%だった。新閣僚たちが会費の納付や行事への出席など旧統一教会との関係について説明したことについても、回答者の82%は「納得していない」で、「納得する」は9%にとどまった。さらに、回答者の73%は「各政党が所属議員と旧統一教会との関係を調査すべきだ」と答えている。

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国民として恥だ、即「退場」を
 世界平和アピール七人委員会は、「統一協会」を「搾取・収奪常習を問われる集団」とし、「欺瞞的勧誘や高額な献金」が「深刻な社会問題であった」のに、「今日まで等閑にしてきた」ことに「日本国民として深く恥じ入る」と述べ、「人間のあるべき道義」として「旧統一協会に寄生する政治家の即退場を」と主張(本サイト「憲法とメディア」の「仲間から」参照)している。まさに、「統一協会」がやって来たこと、それに、唯々諾々となびき、それを利用し利用されながら、「公共の正義を等閑視する政治」を続けてきた。

「仕方がない」では済まされない
 1945年8月、日本は敗戦で、価値観はすべて変わり、旧体制に協力した古い勢力は「公職追放」されて、日本は若返り、民主主義と平和憲法を旗印に日本の復興を図った。
それから77年。「勝共」と「復古主義」で「統一」しようとするニセ宗教集団に蹂躙された国会をただしていくためには、選挙以外にないではないか。
 問題を「頬被り」して、このまま、「仕方がない」で済ませて良いのか? 関与の度合いが薄いなら、「それもあり」と認めることにするのか? 誰かの問題ではない。有権者みんなの問題である。

堂々と「追悼式」、日本では国葬反対集会
8月12日、ソウルのホテルでは、「世界平和統一家庭連合」の大集会が開かれた。文鮮明氏の会だったが、会場には献花台が置かれ、安倍元首相に対する追悼の時間がとられ、、アメリカのトランプ前大統領もメッセージを寄せた。
 一方日本では、国葬反対の行動が始まった。まず、民主団体、平和団体、法律家団体などによる差止め訴訟が起きたほか、16日には、落合恵子、鎌田慧、佐高信、沢地久枝各氏による「安倍『国葬』やめろ!緊急市民集会実行委員会」が主催して、約1000人によるデモも行われた。このあと、8月19日午後6時半には衆院議員会館前、31日には国会正門前、9月1日には有楽町イトシア前、19日には午後1時半代々木公園で集会デモが行われ、国葬の当日にも、大集会とデモが予定されている。
(了)
2022/08/07
55年前、百貨店屋上から舞ったビラ
 1967年10月31日午後2時10分、大阪・梅田の百貨店屋上から100枚ほどのビラが舞った。吉田茂(戦後2度にわたって首相)の「国葬」での「黙祷」の時刻だ。書いたのは私。顛末は以下である。

 大阪の小さな大学の学生自治会の書記長をしていた。敷地は国立大でもっとも狭く2㌶なかった。学生の不満は大きく、施設改善要求で教官とともに文部省に交渉したりした。ベトナム戦争反対など政治的主張もデモなどでぶつけた。自治会活動としては大阪市内で一番まともだったろう。
 国葬の前日、自治会室の電話が鳴った。三大紙の一つの大阪社会部からで、「あす学生自治会として何かしますか」と聞く。大学は午後半休だが、国葬反対で学生集会、というまでの高まり、パワーは正直なかった。その辺の事情を説明していて、ふと「あした一斉黙祷のとき、H百貨店の屋上からビラが降ってくるかもしれませんよ」と口にしてしまった。

 当日朝から意を決して、下書きもなくガリを切り始めた。「真に哀悼の意を表さるるべきは」と書き出した。それは安保条約で日本を売り渡した吉田などでは絶対ない、内外の戦場で命を奪われた兵士、原爆や空襲で殺された国民ではないのか、ということをいろんなフレーズで繰り返した。全部で30行ほど。
 わら半紙の半分に、100枚ほど刷った。2時が迫る。自治会室周辺にいた1年先輩の男子に同行をたのんだ。大阪駅前には電車1本では行けない。タクシ―を拾った。大阪駅前のH百貨店。屋上は遊具はもはやなく、園芸コーナーのようなものがあったか。

 屋上の柵からは駅前が見下ろせた。2時10分、先輩に見張りを頼み、ザックの中から、ビラをつかんで2回に分けて放り投げた。ビラはどっちの方向にどう飛んだか、覚えていない。地上におりてビラを確かめたかの記憶もない…。
 翌日の新聞には何も載っていなかった。その新聞からの電話もなかった。

 おい、幻想ではないのか。いや、ビラの束が私の手を離れたときの感覚はまだ残っている。

 なぜこんなことを思い出したか。8月初め、前川喜平・元文科次官の講演を聞いた。最初は「統一教会の名称変更、私は1997年文化庁宗務課長の時にはダメだと言ったのに、2015年には『世界平和家庭連合』に変えられた。次官か大臣(当時は下村)がOKしたのだろう」「何らかの政治的圧力があったと思う」という話。5日の国会での野党ヒアリングでも同趣旨の発言をした。忖度なく率直に言う姿勢はそのままだ。

 前川氏の講演でひとつふうんと思うことがあった。2006年第一次安倍政権時代の教育基本法改悪(この時前川氏は初等中等教育局長で直接の関与はなかったとのことだが)の際、自民党内閣でもさすがに教育基本法に「天皇への敬愛』は書き込めなかったと指摘した。
 氏は憲法についても「天皇は象徴」「国民の総意に基づく」とあって、敬愛までは言ってないと解説した。前川講演全体として、公務員生活のなかで憲法全体をよく熟知しているなと感じた。

 講演で前川氏は9月の安倍元首相「国葬」について「当然反対」とのベ、憲法の精神の一つである「内心の自由」という言葉を口にした。
 「国葬」で「内心の自由を蹂躙されてたまるか」という思い――それが冒頭の55年前の体験と記憶を呼び起こしたという次第だ。
2022/08/02
ミャンマー国軍による弾圧に抗議
日本人男性の釈放を求めて集会
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外務省前で行われた抗議集会=7月31日(保芦宏亮さん提供)
 ミャンマーの最大都市ヤンゴンで7月30日、国軍に対する抗議デモを撮影していた日本人男性が治安当局に拘束された。ミャンマーメディアの報道によると、フリーランスでドキュメンタリー制作をしている久保田徹さんだと見られる。昨年2月に国軍がクーデターで実権を掌握してから1年半。ミャンマー市民の自由や人権、日本人男性の早期解放を求めて、日本でも集会やデモが行われている。
 東京都千代田区の外務省前で31日、日本人男性の拘束に抗議する緊急集会が行われ、在日ミャンマー人を含め約100人が、「日本政府はすぐ解放されるよう、ミャンマーの軍部に圧力をかけろ」などとシュプレヒコールを上げた。集会は、ミャンマー料理研究家で僧侶の保芦宏亮さん(52)がSNSを通じて呼びかけた。クーデター当時、ミャンマーに滞在中だった保芦さんは「軍による抑圧の状況を目の当たりにした」といい、帰国後はミャンマー人らの支援活動に力を注いでいる。集会にはクーデター後の昨年2月と4月、やはりヤンゴンで拘束されたジャーナリスト、北角裕樹さん(46)が駆けつけた。2度目の拘束時、「虚偽ニュースを拡散した」として逮捕、訴追され、約1カ月にわたって収監された北角さんは、「どうしてデモや取材をしたことが罪になるのか」「誰一人、命を落とさないように願いたい」などと力を込めた。
 ミャンマー国軍は、クーデターの強行に伴い、1年間の期限で発令した非常事態宣言を、来年2月1日まで6カ月延長すると発表し、司法、立法、行政の全ての権限は、ミンアウンフライン最高司令官が握っている。現行憲法では、非常事態宣言の期間は原則1年で、延長は最長2年まで。その後は6カ月以内に総選挙を実施すると規定され、国軍は2023年8月1日までに総選挙を行う必要がある。日本政府やASEAN諸国がこの問題にどう対処するかを注視しなければいけない。
 ウクライナではロシア軍の侵攻により、多数の命が犠牲になり、生活が破壊されている。日本国内では、核兵器の廃絶、脱原発、反基地など、課題は山積しているが、どれか一つでもいい。それぞれが、こうした問題に関心を持ち、行動を起こすことで、社会は変化する。そのためには、紛争地や戦地を訪れ、果敢に報道するジャーナリストらを、市民社会が後押しし、時には守ることが重要だ。
 今夏で敗戦から77年。平和は市民が創るものだということを改めて肝に銘じたい。
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