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2022/03/11
ロシアのウクライナ軍事進攻 いますぐ やめろ!
▼ 「侵略」か「侵攻」か、使い方に迷ったものだ。国語辞典には「侵略」は“奪いとることを目的としている攻撃のこと”。「侵攻」は“他国や他の領地に侵入して、軍事的な手段をもって攻め込むこと”としている。みなさんいろいろ使い分けている。ぼくは「侵略」といってきたが、どうやら「軍事侵攻」という表現が一般的になっているようだ。
 法政大学の前総長・田中優子氏が東京新聞のコラムで“ロシアの国連大使は「われわれはウクライナやウクライナの国民と戦争を行っているのではなく、東部の国民を守るために特別な作戦を行っている」と言った。もしこれが本当なら、戦争の前にやるべきことがあった。中立的な調査団をつくって徹底的に調査し、そのような事実があれば国際的な問題にしていくことだ。なぜそうしなかったのか?戦争を仕掛ける側は常に「防衛」を言う”と。プーチンは「もともとウクライナはロシアのものだった」と言っているようだが、いまどき、そんな理屈が通るとでも思っているのか。

ロシア非難のうねりは高まる一方
▼ 3月2日、国連総会緊急特別会合。ロシアによるウクライナ侵略を国連憲章違反だと断定し、ウクライナでの武力行使停止、軍の「即時、完全、無条件撤退」をロシアに求める非難決議を圧倒的多数で採決した。
▼ ロシアの69の都市で「ウクライナ侵攻反対」のデモ行進がおこなわれている。まだまだ増えそう。
▼ 日本でも各地で集会、デモ行進が増えている。
▼ 3月10日は東京大空襲から77年目。空襲被害者連絡協議会のKさん(82歳),避難するウクライナの子どもの「死にたくない」という映像をみて「あれは(77年前の)私」と。全国空襲被害者のみなさんの思いも同じだろう。
▼ ウクライナのゼレンスキー大統領からロシア市民への言葉。「あらゆる挑発行為や火花がすべてを焼き尽くすかもしれない。あなたたちはこの炎がウクライナ市民を開放すると(プーチン氏から)言われている。だが、ウクライナ市民は元々自由だ」。そのゼレンスキー大統領の国内支持率急上昇という。
▼ プーチン大統領、国内の情報統制を強化した。

ロシアでさえ多くの国民が反戦デモを行っているのに・・
日本は「核共有」まで言い始めた
▼ 3月11日、東日本大震災から11年目。
 原発再稼働派が虎視眈々。原発フル稼働に舵をきろうとしている。原発事故で国民が核の脅威にさらされたことを、もう忘れたのか。
▼ 自民党を中心に「自衛のために軍拡が必要」「軍事には軍事で対抗」などと平和に逆行する議論がおこなわれている。アベ元首相にいたっては、ウクライナ危機に乗じて、日本国内に米国の核兵器を配備する「核共有」まで言い出した。
 これに、自民党内では「議論を封じ込めるべきではない」と高市政調会長らが賛同。日本維新の会なども同調している。
日刊ゲンダイの一文を借りれば「人類の危機に便乗する輩(やから)達は度し難い。自民党に任せていたら、国民は生命のリスクを負わされるだけだ。バイデンの演説ではないが、国民も政治家も歴史から学ぶ必要がある」。まったくそのとおりだ。

2022/02/25
ウクライナ市民救援の連帯を
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 恐れていたことが現実となった。ロシア軍が2月24日、ウクライナに侵攻し、首都キエフを含む複数の都市を攻撃した。新聞の1面には、顔を血で赤く染め、頭に包帯を巻いた女性の写真が掲載され、一般市民にも多数、犠牲が出ているとみられる。ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシアとの外交関係を断絶すると表明。国際社会はあらゆる手段を講じて、核保有国であるロシアの軍事攻撃を止めさせなければいけない。
 報道によると、ウクライナ北部ベラルーシとロシアの国境と、ロシアが2014年に「併合」した南部クリミアとの境界で、ロシアの地上部隊の攻撃があった。キエフや北東部ハリコフなど複数の都市がミサイル攻撃を受け、南部オデッサ、東部マリウポリでは死者が出た。西部の都市でも攻撃によるとみられる爆発音が聞かれたとの報告があった。
 ロシアの国防省は、ウクライナの軍事、防空施設対象の攻撃で、都市部は狙っていないと弁明。一方で、負傷した市民らの被害を伝える画像、映像が次々に発信されている。
 侵攻前、ロシアのプーチン大統領は国営メディアのテレビ演説で、親ロシア派の住民がウクライナの東部で「ジェノサイド(集団虐殺)を受けている」と主張した。北大西洋条約機構(NATO)の脅威から、人命を守るには「ほかに方法がなかった」といい、今回の「特別軍事作戦」を正当化した。
 米国のバイデン大統領は、「米国と同盟国らは結束して断固とした対応を取る。世界はロシアの責任を追及する」と表明した。欧州連合(EU)のフォンデアライエン欧州委員長は記者会見で「独立した主権国家に対する前例のない侵攻」と非難した。
 緊張が高まっていたヨーロッパの主要国、日本などは、在ウクライナ大使館の機能をキエフから、西部のリボフに移した。隣国ポーランドへの脱出を模索する市民もいるという。
 遠い日本に住む私たちも看過できない。ウクライナといえば、思い浮かべるのが、チェルノブイリ原発事故(1986年)。被ばくした子どもたちの保養活動など日本でも支援の輪が広がった。東日本大震災による東京電力福島第1原発事故(2011年)が起きた後は、ウクライナの医師らが、日本の被災者のため医療のアドバイスをした。
 そしていま、チェルノブイリの原発施設は再び、危険信号を発している。ウクライナの政府関係者は、ロシア軍がチェルノブイリを占拠したことを認め、放射性物質が漏れる危険性に触れたという。事故で廃炉になったものの、内部では処理作業が続いているからだ。
 東西の冷戦終結後、軍事同盟であるNATOは一定の役割を終えたはずだった。以後は平和共存のための組織に移行すべきだった。ところが、その体制は維持され、ポーランドなど旧社会主義国圏の国々が、ロシアと対立するNATOに相次いで加盟した。米国主導の拡大策は文字通り、ロシアにとって「脅威」になった。
 NATOに加わっていないウクライナを、プーチン氏は「ロシアとは不可分の関係」と位置づけていた。ウクライナに干渉してクリミアを「併合」したのは、欧米、NATOへの積年の不満が背景にあり、その延長線上に今度の攻撃がある、とみる専門家がいる。それは権力者の「事情」であり、軍事攻撃に巻き込まれる市民のことは意識の外だと言わざるを得ない。
 日本は、もうすぐ3月10日、東京大空襲のメモリアル・デーを迎える。むごい攻撃の報道に接し、高齢の体験者は何を思うのか。
 これ以上の攻撃、反撃を止めさせるための外交政策を政府に求める。そして戦火にさらされる子ども、人々の命を守るために、各国の市民と連帯を強める。私たち市民も行動を起こそう。
2022/02/18
ジェンダー2題
 二つのことを取り上げる。

【詩織さん事件】
 ジェンダー問題とは少し違うと思うが、「望まない性行為の強要」が問われたという点で、伊藤詩織さん裁判はやはり重視されるべきものだ。
 事件は2015年に起こった。被害届は9日6日後に出されている。当時TBS記者の山口敬之氏に地元警察の逮捕状がでていたが、それが警視庁幹部の判断で執行されなかったことは関係者が認めている。検察庁が16年に不起訴としたことに対し、伊藤さんは損害賠償裁判を起こした。19年1審でも、今年22年1月の控訴審でも伊藤さんが勝利した。性暴力が断罪されたのだ。
 大手メディアの記者が、「就職相談」を入り口に、意識を失ったに近い女性に性暴力を行使した。裁判所が山口氏の言い分が「事実と明らかに乖離」「信用できない」と断じた。
 メディアはどう受け止めたか。各紙の扱いの対照を紹介する(いずれも東京地域)。朝日第3社会面3段、東京社会面3段、毎日2社3段/読売2社1段(ベタ)、産経3社1段。
 判決ベタ扱いの2社には明らかに「性暴力への決定的軽視」が読み取れる。同時に山口氏への忖度、擁護の姿勢がみてとれる。山口氏は事件の翌16年に当時の安倍首相にどれだけ近かったかを誇示する『総理』(幻冬社)という本を出している自他ともに認める政権寄り記者である(この年にTBSを退社)。
 あえて言う。両社の編集局には、「政権側にたてつく者の勝訴? ベタでいい」。そんな雰囲気がただよっていたのだろう。

【憲法14条】
 法学部があるわけでない地方国立大学で学生が「同性婚」をテーマにした模擬裁判を上演-ときくとやはり驚く。山形大学でのこと。この2月に知ったが、模擬裁判上演は昨年12月のことだった。
 昨年3月の札幌地裁判決は「同性婚禁止は違憲である」という画期的内容だった。山形大人文社会学部の学生を中心とした研究サークルは、毎年実施してきた模擬裁判劇のテーマに「同性婚」を選んだ。それほど札幌地裁判決の影響は大きかった。
 地裁判決は憲法14条(法の下の平等)をよりどころとした。婚姻の法的効果が同性婚で認められないことは差別であり、憲法14条に違反する、と。 
 では憲法24条「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」との関係についてはどうか。判決は「同性婚を認めていない現在の民法などは24条に違反しない」とした。ここでの「両性」は「男女」というわけだ。どうして14条違反なのに、24条違反でないのか、この点だけでも山形大の学生約100人の実行委員会メンバーたちは大いに悩み、議論しただろう。模擬裁判にはそんな学生たちの葛藤がにじみ出ているようだ。
 この公演を私が知ったのは2月の「赤旗」地方版だった。しかしさすがというか地元山形新聞は学生たちの準備の大詰め段階の昨年11月に大きく報じていた。地元さくらんぼテレビも公演後に報じた。
 実行委員長は公演体験を通じて、札幌地裁判決についてこう述べている。
 「個人の尊厳にもとづく性の多様性は地道な積み重ねによってこそ実現されるものであることを体感した」(「赤旗」2月2日付)。「体感」ということばがいい。
(了)
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