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2021/12/26
東京都武蔵野市の住民投票条例案否決
ネット上には外国人排斥の主張
 3カ月以上住めば、国籍を問わず投票ができる東京都武蔵野市の住民投票条例案が12月21日、市議会本会議で否決された。住民投票では、外国人の投票資格を制限する法律はない。だが、反対派の市議はもとより、国会議員まで加わって街頭活動を展開。インターネット上では「武蔵野が乗っ取られる」などの主張が繰り返され、外国人差別をあおる団体の街宣車が市内を走り回るなど異常な事態となっていた。
 条例案は、武蔵野市内に3カ月以上住む18歳以上の市民であれば、国籍を問わずに投票に参加できる制度を創設する内容。投票の結果に法的な拘束力はない。
 武蔵野市の松下玲子市長は「誰もが安心して暮らし続けられる魅力と活力があふれるまち」を目標に掲げ、その一環としてこの条例案を11月中旬に発表した。市議会の総務委員会(12月13日)での採決は、賛否同数(各3票)となったため委員長裁決で可決。ところが、本会議では賛成11票、反対14票で、逆の結果が出た。
 新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言下、制度案の意見交換会が開かれるなど、「周知が足りなかった」という指摘はあるが、なぜ、外国人の排斥問題にまで及ぶ状況になったのか。インターネット放送「デモクラTV」の討論番組(25日)に出演した政治社会学者の木下ちがやさんは「革新的な市長の提案だったから、保守派の標的になった」と分析する。同種の条例は、神奈川県逗子市など2市ですでに実施されており、目新しいものではない。むしろ、ダイバーシティー(多様性)が叫ばれる時代の流れに合ったものだといえる。
 松下市長は、本会議後、「外国籍の人も同じ街で暮らす一員であることは市議会でも異論はないと思う。この結果を重く受け止めて、制定に向け検討を重ねたい」と報道陣に話した。
 福祉や医療などの分野は、「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる人々が支え、その一端は外国人が担っている。共生社会を目指すのであれば、外国籍の住民の声や意見を取り入れた街づくりが必要なのは言うまでもない。
2021/12/18
いま大事なこと
 国会で補正予算が審議され、子育て家庭への10万円給付が問題になっている。現金だ、クーポンだ、と支給方法についての議論が続いているが、ほんとうに、国会で議論すべき大事な問題は違うのではないか。
 コロナが何となく収束しつつあって、世の中みんなほっとしている。しかし、問題は社会をもう一度取り戻すにはどうしたらいいか、ということではないか。

 「緊急事態」だの「自粛要請」だのという施策が終わって、人が動き出し、お正月の人流はかなり戻るというのだが、中小・零細企業にとっては、何とかで息を継いできた「協力金」がなくなって、「さあ、どうしよう」というのが実態だ。お客はなかなか戻ってこない、借金は返せない借り増しはこれまで以上に難しい。散った従業員は戻れない…。
「この年末いっぱいで」というの店が少なくないのが実態だ。

 政府が組んだ過去最大の35兆9895億円の補正予算は、参議院にまわり、20日成立の見込みだというが、この庶民の窮状について、どんな対策が打たれているのか、さっぱりわからない。報道もろくにない。 恐らく実際にコロナ対策を担ってきた小規模事業者にとって、 「事業復活支援金」や「事業再構築補助金」、「小規模事業者持続化補助金」などが、実際に年内に支給される状況になるのかどうか、といったことだが、報道も含めて焦点がずれている。

 今回の補正では、来年度予算との組み合わせも考えたそうで、防衛関係費に7738億円を充て、補正予算で計上する額としては過去最大。当初予算とあわせると6.1兆円で、当初と補正をあわせた防衛費は国内総生産(GDP)比で1%を超して1.09%となる。本来大問題になるはずのことが、どうしてこんな状況なのか? 予算についての課題は、来年予算にまたがって、追求されなければならない問題だ。
 
 コロナが少し落ち着き、選挙が終わって、与野党の体制も決まって、いま政界は「凪」の状況なのだともいう。その一方で、維新や国民民主が自民党にすりより、憲法審査会を動かし始めた。凪を楽しんでいる暇はない。
2021/12/04
歌いましょう War is over レノン忌に
 太平洋戦争開戦80年。12月8日がやってきた。
 はじまりは日本軍による真珠湾攻撃だった。「日本海軍が宣戦布告の前に手違いで攻撃してしまった」と聞いていたが、そうではなかった。
 毎日新聞の栗原俊雄記者(栗原さんは「空襲被害者全国連絡会」の補償を求める運動を積極的に報道してくれている記者の一人でもある)が、山田 朗・明治大学教授にインタビュー(12月3日付け「論点」)した一部を紹介したい。

▼ 宣戦布告が遅れたのは「もうこれ以上交渉しない」という通告で、国際法上の宣戦布告と明確に読み取れるわけではない。国際法に反することを承知で、最初から開戦後に宣戦布告することになっていたのだ。実際、対イギリス戦では何の通告もなく、陸軍が英領のマレー半島に上陸した。(略)

▼ 真珠湾攻撃もマレー作戦も、南方資源地帯をなるべく早く押さえるためだった。そうしなければ日本は戦争を継続できなかったからだ。つまり戦争を継続するため、戦争のための戦争だった。ここで確認すべきは、12月8日以降、一気にアジアの人々を戦争に巻き込んでしまったことだ。その迷惑のかけ方が、今日あまりにも知られていない。これは日本人の、太平洋戦争以前の戦争に対する歴史認識にも共通している。(略)

▼ 日露戦争以来の成功事例を継承しようとして、時代の条件が変わっていることに気がつかなかった。
 また、行き詰まりを直視できなかった。日中戦争がうまくいかないとドイツと同盟する。劣勢でも戦争を続け、被害が拡大した。
 日本の、この都合の悪いことを直視できない姿勢は戦後にもつながっている。高度経済成長の成功体験に縛られて、「成熟」ではなくいまだに「成長」を信じている政治家がいる。当時の軍部や政治家を笑うことはできない。開戦80年は、歴史から知恵を得るいい機会だ。(栗原さんの了解もなく引用させてもらいました。12月7日の空襲被害者全国連絡会総会・すみだ女性センターでお会いした時に事後承諾を。仲築間 卓蔵)

▼ 12月8日は、ビートルズのジョン・レノンが亡くなった日でもある。
 何年前だったか、東京新聞の「平和の俳句」欄に載った2句をメモしていた。
レノン忌と開戦の日の重なれり
 歌いましょう War is over レノン忌に

        (沖野竜太 東京都世田谷区)

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