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2024/04/19
韓国・済州島「4・3事件」から76年
南北分断は日本の植民地支配が起因
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4・3事件を体験した金時鐘さん
 米軍政下の1948年、韓国・済州島で発生した「4・3事件」から今年で76年が経過した。日本の敗戦後、朝鮮半島は北緯38度線を境に、米軍と旧ソ連軍が南北に分割して占領した。南北分断などに抗議した島民らによる民衆蜂起が四・三事件。武力による弾圧で3万人が犠牲になったといわれるが、この惨禍のおおもとをたどれば、日本が領土拡大のために近隣諸国に行った戦争、すなわち帝国主義と植民地支配にたどり着く。
 米軍占領下の南朝鮮では、日本の統治に協力した官憲の生き残りが再び勢力を増していた。済州島では47年3月、抗日記念日のデモの参加者に向けて警官が発砲し、6人が命を奪われた。島民らは抗議のストライキを起こすなど島に不穏の空気が広がった。そして迎えた48年4月3日。間近に迫った南朝鮮単独選挙に反対した若者たちが未明に警官を襲撃した。これが事件の発端だった。
 在日コリアンの詩人、金時鐘(キム・シジョン)さん(95)=奈良県生駒市=は、この事件に加わった一人だ。当時19歳。自身も追われる身となり、潜伏生活を経て49年、父が準備した船で島を脱出し、日本に上陸。大阪の旧・猪飼野地区の町工場で働き始めた。
 祖国は朝鮮戦争(50~53年)で南北分断が決定的となり、韓国は軍事独裁政権の時代に入る。「逃げた」という負い目を背負う金さんは、在日同胞のための活動に身を投じ、朝鮮小学校の再建などに尽力した。一方で、日本語での詩の創作に打ち込み、猪飼野に暮らす人々に視点を置いた代表作「猪飼野詩集」をはじめ、次々に作品を発表して在日文学を追求していった。
 「4・3事件は同族全般に及ぶ悲劇の一つだ」と金さんは言う。南北分断に抵抗した大勢の民衆の命が奪われた。日本は、その後の朝鮮戦争による「特需」で敗戦からの復興に弾みをつけたが、このとき、「日本の植民地支配がなかったら、朝鮮半島の南北分断には至らなかった」ということを、どれだけの人が意識していたのだろうか。
 今夏で戦後79年。いま、日本は再び、戦争へと近づいている。その一例が、武器輸出の問題だ。政府は昨年12月、防衛装備移転三原則とその運用指針を改定した。外国企業が開発し、日本の企業が許可を得て製造する「ライセンス生産品」について、部品だけでなく完成品もライセンス元の国に輸出できるようになるのだ。日本で生産された武器が米国を経由してウクライナでの戦争に使われる可能性がある。
 4月20日、東京都荒川区の日暮里サニーホールで4・3事件の犠牲者の追悼集会が開かれ、金時鐘さんが登壇する。植民地支配下を生き、戦後は「在日」として日本の社会を生き抜いてきた自身の体験と心境を語る。金さんに聞いてみたい。いまの日本の状況をどうみるか。そしてこの国に未来はあるのか、と。
(M・M)
2024/04/09
これ以上の従属はやめさせたい  岸田訪米に
 ▼岸田首相は米国で何をするのか 
 岸田首相が「国賓待遇」で訪米…。「何をしに行くんだ?」という疑問から「息抜きか、ご苦労さん会か…」まで、あまり議論もされないままの出発だが、昨年来、米国に仕掛けられた、「新しい従属体制の確認」イベント。ごまかされないで見つめたい。
 岸田首相は、22年1月のテレビ会談、22年5月バイデン来日、23年1月岸田訪米、そして、広島サミットなどを通じて、米国との緊密化を図ってきたが、今回の訪米はいよいよ岸田第二次政権の「総仕上げ」の性格を持っている。
 「3回にわたって防衛費増を説得した」と自ら語り(昨年6月)、わざわざ「この男が立ち上がり、ウクライナを支援するとは誰も思わなかった」と岸田首相を称賛(同7月)したバイデン大統領に、その「成果」を報告する「旅」は、一層、日本の軍事化を進める危険なエポックになりかねない。

 ▼「強固な日米同盟」
 今回の訪米で、岸田首相は上下両院合同会議で演説、「日本は世界最大の対米投資国」だと強調しながら、日米両国が「自由で開かれた国際秩序」の構築に向けて、「グローバルパートナー」として活動していくことを表明するといわれ、首脳会談では、日米の防衛力強化に向けた取り組みを共有、「防衛装備品に関する新たな協議体の創設で合意する見通し」(毎日新聞)だという。
 「防衛整備品」とは言うまでもなく「兵器」。宇宙、半導体、人工知能(AI)、量子、通信規格などの開発でも協力を確認、「浮体式洋上風力発電」の技術でも協力を確認すると報じられている。
また、昨年8月、岸田訪米に合わせて日・米・韓の首脳会談が行われたのと同様、今回は、フィリピンのマルコス大統領も訪米、史上初の「日米比首脳会談」が開かれ、対中国で連携を強めることを確認する、という。

 ▼ますます強まる対米癒着関係
 岸田首相は、一昨年(22年)2月、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、同年暮れ、「安保3文書」の改訂を実施、「戦後安保政策の大転換」を図った。
 つまり、①防衛費のGDP比2%を目指した防衛費の継続的増額」②防衛産業へのてこ入れ③「敵基地攻撃」「専守防衛」「武器輸出三原則」など、中身を勝手に変更した「解釈改憲」④港湾・空港などインフラの軍事化、南西諸島などの軍事基地強化―など。

 この間、「政治資金パーティの裏金問題」という大事件が勃発したが、むしろそれを隠蔽材料に使って、国民が知らない間の「軍事国家造り」、日本の「軍事国家化」が進んできた。

 今回の訪米では、米軍と自衛隊の指揮の統合をめざす「統合司令部」の設置が既に決まっており、これを確認することも決まっている。
 国会では,防衛、外交などについての秘密を保護する体制を決めた「特別秘密保護法」の対象や、秘密内容を拡大する「経済安保秘密保護法」について、「国会報告」という形ばかりの「修正」をさせて立憲民主党を抱き込み,衆院内閣委員会を通過させた。
 憲法を無視し、「米国とともに戦争する国家」への「ステップ」を阻止する声を広げなくてはならない。
(S.M)
2024/03/23
「改憲許すな」と「岸田退陣追い込み」
ともに進もう
 2024年は年明けから「自民裏金」を主旋律としつつ、「岸田任期中の改憲、とんでもない」と「岸田を退陣に追い込もう」という2本の副旋律が絡み合って進行しているといっていい。

 そのなかで、自民党というのがいかにいいかげんでごまかしの極みの党かを如実に示す出来事があった。3月17日の自民党大会で決まった今年の方針案の憲法のくだりである。「憲法改正実現のため、国民投票を通じ、国民の判断を仰ぐことをめざす」のを「本年中」としたのだ。この3年間、岸田首相を中心に「総裁任期中(24年9月末まで)の改憲」と言ってきたのを、3カ月後ろにずらしてしれっとしている。自民内とそれを支える右派が抗議したという話も聞かない。

 3月4日の「運動方針案」発表時も、改憲応援団の「産経」は、3カ月後退に怒るのではなく「期限を明記した」と喜んだ。その限りで言えば、やる気があるのかないのかわからない、奇妙な集団だ。

 さてそのもとでの「岸田の命運」、われわれから言えば「岸田退陣への道」だ。新年からの超低支持率での「岸田長くない」ムードは、裏金問題での安部派5人衆切りや岸田後継の「人不足」という現実もあって、岸田の「9月再選戦略」はまだ壊れるまでには至っていないといえる。

 しかし、裏金問題で岸田首相が自身の「処分」まで口にしたことで、事態はいささか複雑微妙になってきた。自民の処分は「除名」から「党則の順守勧告」まで8段階ある。「朝日」22日付に笑うに笑えない記事が出た。首相への処分が「戒告」か「党則順守」だったら「誰が総理に注意するのか」。「党の役職停止」なら総裁の資格を失う。「選挙での非公認」なら自民は「トップが無所属で衆院選をたたかう」のか。(23日のNHKや読売は「首相の処分はない方向」とフォローした)

 冒頭のテーマに戻りたい。確かに「9月までに改憲」は自民自身が後ろにずらさざるを得なかった。これはわれわれの一歩前進であることは確かだ。では岸田の命運はどうか。「許すな!憲法改悪・市民連絡会」共同代表の高田健氏はいう。「岸田首相の退陣は時間の問題となった」(『週刊金曜日』3月22日号)。高田氏は「岸田再選なし」とみておられるようだ。確かに一刻も早く岸田政治を終わらせなければならないが、実際問題として「解散・総選挙」も絡んでくる。2009年の総選挙で自民はあの麻生が「選挙の顔」であったこともあって惨敗した。21年、菅首相は「選挙の顔にならない」と周りも本人も自覚して退陣した。

 しかし今は「9月までの任期」前に重大な選挙がある。4月の衆院3選挙(東京15区、島根1区、長崎3区)だ。「改憲期限ずらし」を口にせざるを得なかった自民と岸田をさらに追い詰める絶好の機会だ。
(寺)
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