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2025/04/18
「26年憲法国民 投票構想」に留意と警戒を
いま憲法をめぐる国会状況はどうなっているか。24年総選挙で自・公・維新が大幅後退で改憲勢力は発議ができる3分の2をかなり割り込んだ。しかし改憲勢力はショックを拭い去って、さまざまなやりくちで爪を研いでいる、といえようか。9条についていえば「自衛隊明記」はさすがに言えなくなっている。そこで自民党は、大災害などのときの緊急事態条項などを言い立て、改憲の糸口を探ろうとしている。4月16日の参院憲法審議会は、憲法54条にある衆院解散時に大災害、紛争などがあった場合の「参院緊急集会」を議論したが、ここでも自民党はこれに乗じて「改憲による緊急事態条項創設」を口にした。
ここで筆者は、政界の一部で「26年国民投票」が構想されているという論に注意を喚起しておきたい。『選択』4月号はいう。「立憲民主党が賛同できる案を26年の通常国会で発議し(略)国民投票を実施できるという具体的日程もひそかに描かれている」というのだ。では何を主題に? 自衛隊でも「緊急事態条項」でもない。憲法53条「臨時会召集」について何日以内と定めるというのだ。なんだか気が抜けたような話である。
同記事の言葉を借りれば、自民党は「憲法改正への抵抗感を小さくする」ことに気をくばり、「お試し改憲」も唱えたこともある。「改憲実現」のためには手段を択ばない党なのだ。「26年」を期する改憲勢力に対して、我々も思いを固めるときだ。改憲も「お試し改憲」も許さない、と。
(寺)
2025/04/14
シンガポール・チャンギー殉難者慰霊祭
東京都大田区の照栄院で
外国籍元BC級戦犯の救済を
日本の敗戦後、連合国がシンガポールで開いた軍事法廷で「BC級戦犯」の裁きを受け、死刑執行された軍人軍属らを追悼する「シンガポール・チャンギー殉難者慰霊祭」が4月13日、東京都大田区池上の本門寺近くの照栄院内であった=写真。「戦争犯罪人」として世を去った人々の中には日本の植民地支配下、動員された朝鮮半島出身者らが含まれている。東京裁判(極東軍事裁判)では戦犯は、A級(主要戦犯)、B級(通例の戦争犯罪)、C級(人道に対する罪)の3つに分類された。
A級では、権力を握っていた閣僚や軍幹部をはじめ、政治家、外交官、財界、言論人などが次々に逮捕された。容疑者の起訴、不起訴は、対米開戦の最終的な決定に関与したか否かが判断の基準になったといわれており、判決で死刑となったのは、東条英機ら7人。とはいえ開戦時の東条内閣で主要ポストにあった岸信介は不起訴になった。また、「政府と一体となって言論統制に応じた」と批判される新聞、通信社の社長や会長も、免責されている。
BC級戦犯はどうか。死刑判決は937人にのぼり、戦争を遂行した人物より重罰を受けるという矛盾に満ちた結果となった。そして、朝鮮半島や台湾の出身者らはさらに過酷な運命を背負わされた。
戦時中、朝鮮半島から3000人以上が軍属の立場で各地の捕虜収容所などに派遣され、戦犯に問われた朝鮮人は148人。うち23人の死刑が執行された。刑期を終えた人々も、戦後は外国人とみなされ、一切の補償、援護対象からはずされた。このため、在日韓国人の李鶴来(イハンネ)さんら有志が1955年、生活権の確保などを目的に「同進会」を結成した。李さんも当事者の一人で戦時中、タイで連合国の捕虜監視業務をさせられて死刑判決を受けたが、減刑となり56年に釈放。「刑死させられた友人たちの名誉回復を」との思いを抱きながら、獄中で運動を開始したのだ。
◇ ◇
同じころ、戦友の刑死に胸を痛めていた僧侶がいた。本門寺の元貫首で、照栄院の元住職、田中日淳さんだ。自身は陸軍に入隊し、シンガポールで敗戦を迎えた。残留部隊で引き揚げ船を待っていた時、キャンプの壁に張られていた若い兵士の辞世の歌を読み、自分たちの仲間が戦犯として処刑されていることを知った。
「自分だけ日本に戻ることはできない」と部隊から離れた。英国軍の管理下にあったチャンギー刑務所に向かい、1947年の元日から1年8カ月の間、教誨師を務めた。チャンギーで死刑となったBC級戦犯約130人のうち33人の最期に立ち会い、その中には6人の朝鮮人がいたという。田中さんは、彼らの手記や遺書をふろしきに包み、大切に持ち帰った。
極刑を免れた人々の呼びかけで照栄院の敷地内に83年4月、慰霊碑が建立された。慰霊碑にはチャンギー刑務所で処刑されるなどした157人の名が刻まれ、その中には約15人の朝鮮半島出身者がいた。長く同進会の活動を支援していた田中元住職は2010年、97歳でこの世を去った。同胞たちの「名誉回復」の一念で日本政府に謝罪と補償を訴えて裁判で闘い、外国籍のBC級戦犯者の救済立法を求め続けてきた李さんは21年、96歳で不帰の客となった。
◇ ◇
戦後80年の今年、慰霊祭には約40人が参列した。この日、法要を営んだのは、田中元住職の孫の石川龍彦住職。集まった人々が、慰霊碑に刻まれた刑死者の名を順番に読み上げた。
ちょうどこの日は、大阪・関西万博の開幕日。前回の70年の大阪万博のテーマは「人類の調和と進歩」。55年を経た今回は「いのち輝く未来社会のデザイン」を掲げるが、まったく心に響かない。なぜならいまも、世界ではどこかで戦争や紛争があり、命が失われているからだ。
過去と現在の戦争の実相を写真やパネルで伝え、平和な未来を希求する――。
日本政府こそ、こんなパビリオンを出展すべきではないか。それが開催国であり被爆国の役目だと思う。
(M・M)
2025/02/17
「剣をとる者はみな、剣で滅びる」
(マタイ26章52節)
いま、防衛と外交を考える
国会で来年度予算案の審議が本格化しているが、国民生活が窮乏する中で、巨大な軍事費についての議論が抜け落ちている。与党が過半数割れをし、予算案も野党の賛成を得なければ成立しない状況下、軍事費と民生のための財源論議は棚上げされたまま。物価高騰に苦しむ人々のための財源確保の議論はほとんど行われていない。いま、求められているのは軍事力の増強ではなく、国民が安心して暮らせる物価高騰対策の強化、年金等社会保障の充実、教育費負担の軽減などである。
▼石破トランプ会談に成果はあるか
訪米した石破首相は2月7日、再任したトランプ大統領と会談し、「日米同盟の抑止力を強化していく」ことで意見が一致。共同声明には「米国は2027年度より後も抜本的に防衛力を強化していくことに対する日本のコミットメントを改めて歓迎する」と書き込まれた。これは、23年に岸田首相が訪米し、当時のバイデン大統領と、日米共同で敵基地攻撃能力の協力強化を進めることに合意したことを引き継いでいる。
岸田首相は、このことを国会より先に、米国に報告し、「一体、国民主権はどこに行ったのか」「日本は米国主権か」と、問題視された。軍事費を増額すれば、国民の生活の質の低下は必至で(財布は一つしかない)、軍事的緊張や不測の事態が起こる可能性は高まり、平和は遠ざかるばかり。現在、国会で審議されている政府予算案には、8兆7000億円という過去最大の軍事費が計上されている。政府は従来、軍事費は「GDP比1%以内」を目安にしていたが、岸田前政権はこれを一気に2%に引き上げ、石破首相も「安全保障環境が厳しければ、厳しいほど増やすということは、国家に責任を持つ者として判断としてあるべきものだ」と述べ、天井知らずの軍拡に道を開こうとしている。
石破・トランプ会談では、米国の日本防衛など「日米同盟」について様々に言及されたが、トランプ大統領の就任で不確実性を増した国際情勢については、「踏み込んだ議論がなされた様子はうかがえない」(毎日新聞)。しかも、世界保健機関(WHO)やパリ協定からの離脱、パレスチナ自治区の領有、住民の域外移住など、トランプ大統領が示した方針は、国際法に違反するものである。読売新聞ですら「こうした独善的な言動まで手放しで支持するわけはいかない」として、「法の支配や国際協調の重要性を粘り強く米側に呼び掛けていかねばならない」と書いている。北海道新聞は「トランプ流に物申したか」と指摘している。
▼遠のく「平和への権利」
国会閉会中に、岸田内閣が「安保関連3文書」を閣議決定したのは、2年前の2022年12月だった。安保3文書は、米国の世界戦略に沿って、九州から南西諸島に至るミサイル網の配備など、台湾有事を前提に自衛隊の軍備増強と日米共同軍事行動の一体化を図ろうとする。「反撃能力の保有」や「軍事費を5年間で計43兆円にまで増額する」と明記されている。戦後一貫して主張されてきた「他国を攻撃できる兵器の保有は、憲法の趣旨とするところではない」との政府見解は、見事に覆された。この重大な政策決定が、国会での議論や承認も経ないままに行われたことを、私は忘れることはできない。2014年、安倍内閣による強行採決で、安全保障関連法案(戦争法)が成立し、日本は集団的自衛権行使が可能になった。さらに日本は、ここに至って「先制攻撃ができる国」、「自ら戦争をする国」へと変貌した。何を隠そう、日本は戦後、米国による占領、サンフランシスコ条約とセットになった日米安保体制の下、ずっと米国依存の外交を続けてきた。米中対立の中で、単純に「米側」に立つことは、日本の利益にはならない。
▼中国とASEANと
今回の日米会談でも、重要なテーマになったのは、中国問題だった。米国は世界を仕切る超大国として中国との対立の度を深めている。しかし、日本はまた米国とは違うスタンスを持たなければならない。中国は、日本最大の貿易相手国であり、日系企業進出先の第1位でもある。台湾最大の貿易相手国も中国である。日中共同声明(1972年)第6項にうたわれる「日中両政府は、国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する」を礎にして、友好的な関係を築くべきである。もう一つ、アジアで生きる日本に重要なことは、アジア各国、ASEAN(東南アジア諸国連合)10カ国との関係である。これまでASEANは、この地域の平和と安定促進のための重層的な枠組みづくりの中心的役割を果たしてきた。日本では必ずしも知られていないが、76年に生まれた東南アジア友好協力条約は、武力による威嚇または行使の放棄、紛争の平和的手段による解決を明記し、ASEANプラスアルファの形で、周辺各国の協力関係を維持し、東南アジアを「平和と協力」の地域に変えてきた。とくに、2005年からは東アジア首脳会議(東アジアサミット)を毎年開催し、首脳間での率直な対話が続けられている。日本もこのASEANを軸としての外交を展開していかなければならない。
▼とにかく「戦争はしない」決意を
戦時下で暮らしてきた筆者の母は、終生「戦争だけはどんな理由があっても絶対ダメ」と言い続けた。「戦争の記憶」を知る者が少なくなった今、大事なことは「剣をとる者はみな、剣で以て滅びる」という真理である。軍備をいくら増やしても、一旦戦争が起これば、命と平和な暮らしを守ることは不可能である。武力によらず外交の力での戦争回避こそ、求められている。(W)