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2024/03/04
「平和国家」から遠のく日本
 ひなまつりの日の3月3日、都心で行われた東京マラソンに、戦地で片足を失ったウクライナ人男性2人が参加した。義足で懸命に走る姿に、沿道から多くの声援が送られた。
 ロマン・カシュプルさん(27)とユーリ・コズロフスキーさん(41)。2人は、現在も続くウクライナ戦争以前に、地雷を踏むなどして足をなくした。今回は、ウクライナ戦争で負傷した兵士の治療費を募るチャリティー活動の一環ではるばる海を越えて日本に来た。
 カシュプルさんは「妻や子ども、仲間の兵士のことを思って走った」といい、自己ベストの約4時間50分で完走。マラソン初挑戦のコズロフスキーさんは29キロ地点の関門を制限時間内に走り抜けることができずに失格扱いとなったが、時間をかけて最後まで走った。
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 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻をはじめ、パレスチナ自治区ガザ地区での戦闘で多数の市民の命が奪われるなか、国際NGO(非政府組織)ネットワーク「武力紛争予防のためのグローバルパートナーシップ(GPPAC=ジーパック)」の国際運営会議が1月下旬、東京で開かれた。各国のNGOをはじめ、紛争予防の実践や研究に関わる専門家ら約50人が参加し、平和構築のための行動や政策提言について議論した。
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院内集会には日本のNGOの代表やメンバー、国会議員らも参加した
 会議の終盤には、衆院第1議員会館で院内集会が開かれ、ウクライナ情勢については、ロシアからウクライナに移住し、現在は首都キーウを拠点に活動をするアンドレ・カメンシコフさん=非暴力インターナショナル・ウクライナ=が状況を解説した。GPPACの協力を得て行った調査によると、「ロシアの市民も政治的解決と『正常』への回帰、元の生活に戻りたいという願望が高まっている」といい、「G7のメンバーである日本もロシアの一般市民に対して平和や民主主義をうながすアピールができる」と話した。
 外務省からは国際平和・安全保障協力室長が出席し、停戦のために各国と連携を図っていく方針であることを示したものの、具体策はなかった。
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 ウクライナ戦争が始まって2年。米国議会ではウクライナなどへの14兆円もの追加軍事支援と、移民流入制限の国境警備強化策を盛り込んだ法案が上院で可決、下院は未決となり、宙に浮いている。ロシアが有利になることに危機感を抱いたEU(欧州連合)首脳は、2月の会合で8兆円の対ウクライナ追加支援を承認した。
 日本はどうか。ウクライナへ計1兆8000億円の支援を決めた。財政中心というが、本当に困っている人に役立てられるのだろうか。日本政府は、防衛装備移転三原則とその運用指針を改定(2023年12月)した。日本で生産された武器が他国の戦争に使用される可能性が浮上した。米国に売却された武器がウクライナに渡るというシナリオも想定される。
 明らかに「平和国家」から遠のいている。この国の人々が真剣に政治に目を向けない限り、軌道修正はできない。
(M・M)
2024/02/17
やっぱり違憲! 企業の政治献金
 企業の政治献金はやっぱり憲法違反ではないのか ―自民党が混乱し、政治が手に着かない状況を見て、改めて思うことは、まだ、日本の復興が語られる時代に、企業についても自然人と同じように、「政治的人格」を認め、大手を振って企業が振る舞うようにしてしまった日本社会、それを法的に支えた最高裁判決に問題があるのではないか、と思っている。この際、改めて、この問題について、再検討し、判例変更への運動を起こすべきではないかと思う。

 自民党派閥の政治資金パーティ裏金事件は、刑事事件としては、国会議員1人の逮捕、3人の略式起訴、10人の立件という結果で一段落した。自民党、岸田首相は、「政治刷新本部」なるものを作り,「派閥解消」で,事態収拾を図ろうとしているが、問題は「派閥」ではなく「カネ」。自民党に求められているのは「派閥解消」ではなく「カネ」。誰がどう受け取って、どう使ったか、明らかにされなければならない。
 同時に、検討されなければならないことは、政治にカネがかかる「仕組み」と大きく強大になってしまった「国家独占資本主義体制」の中での「個人」と「団体」の関係である。
いま、大企業は、現在の政治権力者である自民党に献金することを当然として、交際費なのか、販売促進経費なのか、なにがしかのカネを準備する。必要なとき、求めに応じて、党や議員が作る「政治資金団体」に献金したり、主催するパーティ券を購入する。
 そのカネの法的な処理がどうなっているか、企業の側は知らなくていい。そこで企業は、一般の有権者より、何十倍、何百倍の実力を持って、政治を支配する形態ができあがっている。しかし、事実上はこのカネは、直接的なワイロではないにしても、献金者の「意思」に沿った政治を求めるためのカネだ。
 果たしてこれは、民主政治の中で許されることかどうか、だ。
 
▼問われた大企業の政治姿勢
 1960年3月、八幡製鉄所の代表取締役2人が、会社の名義で、自民党に350万円の政治献金をした。これに対して、ある株主が、「八幡製鉄は『鉄鋼の製造及び販売ならびにこれに付帯する事業』をその目的とすると定款に定めている。政治献金は定款所定の目的を逸脱するものであり、その行為は定款違反の行為として商法266条1項5号(現・会社法120条1項及び847条1項)の責任に違反するものである」として、株主代表訴訟(代位訴訟)を提起した。
 当然これは、社会的な問題になったが、「60年安保」からまもなく。民主主義がごく当たり前に論じられた時代だった。
 これに対し、一審の東京地裁は1963年4月、「会社が営利追求を本質的目的とする以上、株主の同意が得られるであろう行為は除いて、無償の支出行為一般は目的の範囲外であり、政治献金も目的の範囲外である。よって、それを行った取締役は金額の大小によらず、定款違反ならびに忠実義務違反に問われ、献金した額を会社に賠償しなければならない」と原告の請求を認容した。

 被告は控訴し、第二審の東京高裁は1966年1月、「取締役の会社を代表して行う政治献金は、その額が過大であるなど特段の事情が無い限り、原則として定款・法令違反を構成せず、賠償責任は発生しない」と判断、事件は最高裁に持ち込まれた。
 
 ところが最高裁は、1970年6月、次のように判示、被告・八幡製鉄を勝訴させた。

① 会社は定款所定の目的の範囲内において権利能力を有する、との前提に立ち、目的の範囲内の行為とは定款に明示された目的に限らずその目的遂行のために直接または間接に必要な行為すべてを含む。
② 会社も自然人同様、社会の構成単位であり、社会的作用を負担せざるを得ない。その負担は企業の円滑な発展に効果があり、間接的ではあるが、(定款所定の)目的遂行上必要といえる。政治献金も同様 で、政党政治の健全な発展に協力することは社会的実在たる会社にとっては当然の行為として期待される。
③ 会社は自然人同様、納税者たる立場において政治的意見を表明することを禁止する理由はない。会社の政治献金は参政権違反ではない。憲法第三章「国民の権利及び義務」は性質上可能な限り内国の法人にも適用すべきであり、政治的行為の自由もまた同様である。
④ 取締役の忠実義務は善管注意義務を敷衍し、かつ一層明確にしたにとどまるのであって、それとは別個の高度な義務を規定したものではない。合理的範囲内を超え、会社規模などからいって不相応な額の政治献金でもない限り、忠実義務違反とはならない。

▼最高裁判決の見直しを
 判決は、傍論的ではあるが、「社会的実在たる会社が社会的作用に属する行為を負担することは、間接的に会社の利益となり、目的の範囲内に含まれる」と述べており、多くの学説はこの結論を支持した。また、法人の政治的自由が認められたことは一つのエポックだったが、すべての法人が自由な政治活動を認められるわけではなかった。
 この考え方の根幹にあるのは、判決理由の第2項目にあげた、「企業も社会の構成単位」「政党政治の健全な発展に協力することは社会的実在たる会社にとっては当然の行為」という考え方だ。

 しかしどうなのだろう? いま、地球環境問題を含めて文明が問われている中で、法人格を持ち、巨大な金を持つようになった大企業が、自然人の集合体でありながら、本来守るべき人間の生活を破壊し、いつの間にか、危険な方向に誘導する状況が生まれていることをどう考えるか、ということではないだろうか。
 極端に言えば、巨大株主、会社支配者の意思が、「政治献金」という形で、民主政治の中に入り込み、国民個人の民主主義や、価値観を破壊するとき、一票を持つ国民=自然人は、「法人」と名づけた「虚構の意思表示主体」の行動を、拒否する力ももないまま、認めてしまっていいのか、ということである。
 法人と個人の関係も、高度成長期以前とは全く違っているいま、法人に政治的行為を認めた最高裁判決は、改めて再検討されなければならないのではないだろうか。この際、改めて理論構築と判例変更への運動を、と思えてならない。
(S.M)
2024/02/06
「9月」見据えて、改憲派との攻防今正念場だ
 筆者はこれまで憲法をめぐる改憲勢力とその反対運動の拮抗、対峙をおもなテーマとして書いてきた。そのなかで昨年暮れからの岸田内閣の危機・弱体化(おもにはパーティー券・政治資金問題)から、「押せ押せだ」「総裁任期(24年9月)までの岸田退陣もあるぞ」と言ってきた(昨年12月)。

 しかし自民の狡猾さはそういう流れの隙間を巧妙に潜り抜けているかにみえる 。安部派の力をそぐという「利点」はあるにせよ閣僚更迭などで5人衆の役職を解いた。しかし「企業・団体献金禁止」という本道をだげは何としても避けようと画策し、「派閥解消」という弥縫策ですらないもので目くらましをしようとしている。

 通常国会が進行しているいま、政治力学というか永田町は「それでも岸田の世は続く『倦怠政界』」(情報誌『選択』2月号)だという。国民はそれでいいわけがない。

 「総裁任期中」の改憲でいえば、岸田のもの言いに、ごく小さい変化はあった。1月30日の施政方針演説では、改憲について「自分の総裁任期中に改正を実現したいという思いに変わりはない」と述べた。改憲応援の「産経」によれば、「過去6回の施政方針演説、所信表明演説で目標時期に言及」(2月1日付)したのは初めてだと元気づいている。

 もう一つの変化。岸田の改憲フレーズは「任期中に改憲をという思いはいささかも変わっていない」が定番だったのに、今年は1月4日の初会見以来「いささかも」がなくなっている。ただこれは形容句のひとつなので、これで岸田の改憲熱意がダウンしたとみることは「いささかも」できない。

 こうして「憲法」をかかえつつ、「自民内では『解散』と『退陣』の両ケースで様々なシナリオ」がささやかれているという。この記事は「岸田6月解散」論を見出しにしている。そんな岸田戦略に「9月までの改憲」が入り込めるのか。6月までの国会で両院の3分の2以上の賛成で改憲条文が決定されて「発議」され、7~8月の国民的討論(いわゆる周知期間)、最後に国民投票、というスケジュールだ。

 かつて自民党の憲法アドバイザーだった小林節・慶大名誉教授は1月半ばの日刊ゲンダイで首相の「9月までの改憲」について「ありえない」とまで断言している。「国民投票で過半数の賛成が得られる具体的な改憲案が存在していない。これは致命的」と言っている。リアルな分析の一つと言える。

 高田健氏(戦争させない・9条壊すな総がかり行動共同代表)は、昨年12月の7日の衆院憲法審査会で中谷元・与党筆頭幹事(自民)が自衛隊明記については「ほぼ合意」と述べたことを厳しく批判している(週刊金曜日1月26日号)。高田氏は大局で改憲賛成の公明、国民両党の幹部の発言を分析し、虚構の「ほぼ合意」を論破した。

 私はこれまでの論で「改憲勢力とのたたかいは今後もずっと続く」「彼らの執念をいささかも軽視してはならない」といってきた。今回の小論で付け加えるとすれば、「『9月までに改憲』などの狂暴な強行はまったくもってあってはならない」「岸田政権が『解散』などで生き延びて9月に自民総裁に再選されることもまた許してはならない」ということだ。
(寺)
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