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2024/03/23
「改憲許すな」と「岸田退陣追い込み」
ともに進もう
 2024年は年明けから「自民裏金」を主旋律としつつ、「岸田任期中の改憲、とんでもない」と「岸田を退陣に追い込もう」という2本の副旋律が絡み合って進行しているといっていい。

 そのなかで、自民党というのがいかにいいかげんでごまかしの極みの党かを如実に示す出来事があった。3月17日の自民党大会で決まった今年の方針案の憲法のくだりである。「憲法改正実現のため、国民投票を通じ、国民の判断を仰ぐことをめざす」のを「本年中」としたのだ。この3年間、岸田首相を中心に「総裁任期中(24年9月末まで)の改憲」と言ってきたのを、3カ月後ろにずらしてしれっとしている。自民内とそれを支える右派が抗議したという話も聞かない。

 3月4日の「運動方針案」発表時も、改憲応援団の「産経」は、3カ月後退に怒るのではなく「期限を明記した」と喜んだ。その限りで言えば、やる気があるのかないのかわからない、奇妙な集団だ。

 さてそのもとでの「岸田の命運」、われわれから言えば「岸田退陣への道」だ。新年からの超低支持率での「岸田長くない」ムードは、裏金問題での安部派5人衆切りや岸田後継の「人不足」という現実もあって、岸田の「9月再選戦略」はまだ壊れるまでには至っていないといえる。

 しかし、裏金問題で岸田首相が自身の「処分」まで口にしたことで、事態はいささか複雑微妙になってきた。自民の処分は「除名」から「党則の順守勧告」まで8段階ある。「朝日」22日付に笑うに笑えない記事が出た。首相への処分が「戒告」か「党則順守」だったら「誰が総理に注意するのか」。「党の役職停止」なら総裁の資格を失う。「選挙での非公認」なら自民は「トップが無所属で衆院選をたたかう」のか。(23日のNHKや読売は「首相の処分はない方向」とフォローした)

 冒頭のテーマに戻りたい。確かに「9月までに改憲」は自民自身が後ろにずらさざるを得なかった。これはわれわれの一歩前進であることは確かだ。では岸田の命運はどうか。「許すな!憲法改悪・市民連絡会」共同代表の高田健氏はいう。「岸田首相の退陣は時間の問題となった」(『週刊金曜日』3月22日号)。高田氏は「岸田再選なし」とみておられるようだ。確かに一刻も早く岸田政治を終わらせなければならないが、実際問題として「解散・総選挙」も絡んでくる。2009年の総選挙で自民はあの麻生が「選挙の顔」であったこともあって惨敗した。21年、菅首相は「選挙の顔にならない」と周りも本人も自覚して退陣した。

 しかし今は「9月までの任期」前に重大な選挙がある。4月の衆院3選挙(東京15区、島根1区、長崎3区)だ。「改憲期限ずらし」を口にせざるを得なかった自民と岸田をさらに追い詰める絶好の機会だ。
(寺)
2024/03/04
「平和国家」から遠のく日本
 ひなまつりの日の3月3日、都心で行われた東京マラソンに、戦地で片足を失ったウクライナ人男性2人が参加した。義足で懸命に走る姿に、沿道から多くの声援が送られた。
 ロマン・カシュプルさん(27)とユーリ・コズロフスキーさん(41)。2人は、現在も続くウクライナ戦争以前に、地雷を踏むなどして足をなくした。今回は、ウクライナ戦争で負傷した兵士の治療費を募るチャリティー活動の一環ではるばる海を越えて日本に来た。
 カシュプルさんは「妻や子ども、仲間の兵士のことを思って走った」といい、自己ベストの約4時間50分で完走。マラソン初挑戦のコズロフスキーさんは29キロ地点の関門を制限時間内に走り抜けることができずに失格扱いとなったが、時間をかけて最後まで走った。
 ◇       ◇
 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻をはじめ、パレスチナ自治区ガザ地区での戦闘で多数の市民の命が奪われるなか、国際NGO(非政府組織)ネットワーク「武力紛争予防のためのグローバルパートナーシップ(GPPAC=ジーパック)」の国際運営会議が1月下旬、東京で開かれた。各国のNGOをはじめ、紛争予防の実践や研究に関わる専門家ら約50人が参加し、平和構築のための行動や政策提言について議論した。
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院内集会には日本のNGOの代表やメンバー、国会議員らも参加した
 会議の終盤には、衆院第1議員会館で院内集会が開かれ、ウクライナ情勢については、ロシアからウクライナに移住し、現在は首都キーウを拠点に活動をするアンドレ・カメンシコフさん=非暴力インターナショナル・ウクライナ=が状況を解説した。GPPACの協力を得て行った調査によると、「ロシアの市民も政治的解決と『正常』への回帰、元の生活に戻りたいという願望が高まっている」といい、「G7のメンバーである日本もロシアの一般市民に対して平和や民主主義をうながすアピールができる」と話した。
 外務省からは国際平和・安全保障協力室長が出席し、停戦のために各国と連携を図っていく方針であることを示したものの、具体策はなかった。
 ◇       ◇
 ウクライナ戦争が始まって2年。米国議会ではウクライナなどへの14兆円もの追加軍事支援と、移民流入制限の国境警備強化策を盛り込んだ法案が上院で可決、下院は未決となり、宙に浮いている。ロシアが有利になることに危機感を抱いたEU(欧州連合)首脳は、2月の会合で8兆円の対ウクライナ追加支援を承認した。
 日本はどうか。ウクライナへ計1兆8000億円の支援を決めた。財政中心というが、本当に困っている人に役立てられるのだろうか。日本政府は、防衛装備移転三原則とその運用指針を改定(2023年12月)した。日本で生産された武器が他国の戦争に使用される可能性が浮上した。米国に売却された武器がウクライナに渡るというシナリオも想定される。
 明らかに「平和国家」から遠のいている。この国の人々が真剣に政治に目を向けない限り、軌道修正はできない。
(M・M)
2024/02/17
やっぱり違憲! 企業の政治献金
 企業の政治献金はやっぱり憲法違反ではないのか ―自民党が混乱し、政治が手に着かない状況を見て、改めて思うことは、まだ、日本の復興が語られる時代に、企業についても自然人と同じように、「政治的人格」を認め、大手を振って企業が振る舞うようにしてしまった日本社会、それを法的に支えた最高裁判決に問題があるのではないか、と思っている。この際、改めて、この問題について、再検討し、判例変更への運動を起こすべきではないかと思う。

 自民党派閥の政治資金パーティ裏金事件は、刑事事件としては、国会議員1人の逮捕、3人の略式起訴、10人の立件という結果で一段落した。自民党、岸田首相は、「政治刷新本部」なるものを作り,「派閥解消」で,事態収拾を図ろうとしているが、問題は「派閥」ではなく「カネ」。自民党に求められているのは「派閥解消」ではなく「カネ」。誰がどう受け取って、どう使ったか、明らかにされなければならない。
 同時に、検討されなければならないことは、政治にカネがかかる「仕組み」と大きく強大になってしまった「国家独占資本主義体制」の中での「個人」と「団体」の関係である。
いま、大企業は、現在の政治権力者である自民党に献金することを当然として、交際費なのか、販売促進経費なのか、なにがしかのカネを準備する。必要なとき、求めに応じて、党や議員が作る「政治資金団体」に献金したり、主催するパーティ券を購入する。
 そのカネの法的な処理がどうなっているか、企業の側は知らなくていい。そこで企業は、一般の有権者より、何十倍、何百倍の実力を持って、政治を支配する形態ができあがっている。しかし、事実上はこのカネは、直接的なワイロではないにしても、献金者の「意思」に沿った政治を求めるためのカネだ。
 果たしてこれは、民主政治の中で許されることかどうか、だ。
 
▼問われた大企業の政治姿勢
 1960年3月、八幡製鉄所の代表取締役2人が、会社の名義で、自民党に350万円の政治献金をした。これに対して、ある株主が、「八幡製鉄は『鉄鋼の製造及び販売ならびにこれに付帯する事業』をその目的とすると定款に定めている。政治献金は定款所定の目的を逸脱するものであり、その行為は定款違反の行為として商法266条1項5号(現・会社法120条1項及び847条1項)の責任に違反するものである」として、株主代表訴訟(代位訴訟)を提起した。
 当然これは、社会的な問題になったが、「60年安保」からまもなく。民主主義がごく当たり前に論じられた時代だった。
 これに対し、一審の東京地裁は1963年4月、「会社が営利追求を本質的目的とする以上、株主の同意が得られるであろう行為は除いて、無償の支出行為一般は目的の範囲外であり、政治献金も目的の範囲外である。よって、それを行った取締役は金額の大小によらず、定款違反ならびに忠実義務違反に問われ、献金した額を会社に賠償しなければならない」と原告の請求を認容した。

 被告は控訴し、第二審の東京高裁は1966年1月、「取締役の会社を代表して行う政治献金は、その額が過大であるなど特段の事情が無い限り、原則として定款・法令違反を構成せず、賠償責任は発生しない」と判断、事件は最高裁に持ち込まれた。
 
 ところが最高裁は、1970年6月、次のように判示、被告・八幡製鉄を勝訴させた。

① 会社は定款所定の目的の範囲内において権利能力を有する、との前提に立ち、目的の範囲内の行為とは定款に明示された目的に限らずその目的遂行のために直接または間接に必要な行為すべてを含む。
② 会社も自然人同様、社会の構成単位であり、社会的作用を負担せざるを得ない。その負担は企業の円滑な発展に効果があり、間接的ではあるが、(定款所定の)目的遂行上必要といえる。政治献金も同様 で、政党政治の健全な発展に協力することは社会的実在たる会社にとっては当然の行為として期待される。
③ 会社は自然人同様、納税者たる立場において政治的意見を表明することを禁止する理由はない。会社の政治献金は参政権違反ではない。憲法第三章「国民の権利及び義務」は性質上可能な限り内国の法人にも適用すべきであり、政治的行為の自由もまた同様である。
④ 取締役の忠実義務は善管注意義務を敷衍し、かつ一層明確にしたにとどまるのであって、それとは別個の高度な義務を規定したものではない。合理的範囲内を超え、会社規模などからいって不相応な額の政治献金でもない限り、忠実義務違反とはならない。

▼最高裁判決の見直しを
 判決は、傍論的ではあるが、「社会的実在たる会社が社会的作用に属する行為を負担することは、間接的に会社の利益となり、目的の範囲内に含まれる」と述べており、多くの学説はこの結論を支持した。また、法人の政治的自由が認められたことは一つのエポックだったが、すべての法人が自由な政治活動を認められるわけではなかった。
 この考え方の根幹にあるのは、判決理由の第2項目にあげた、「企業も社会の構成単位」「政党政治の健全な発展に協力することは社会的実在たる会社にとっては当然の行為」という考え方だ。

 しかしどうなのだろう? いま、地球環境問題を含めて文明が問われている中で、法人格を持ち、巨大な金を持つようになった大企業が、自然人の集合体でありながら、本来守るべき人間の生活を破壊し、いつの間にか、危険な方向に誘導する状況が生まれていることをどう考えるか、ということではないだろうか。
 極端に言えば、巨大株主、会社支配者の意思が、「政治献金」という形で、民主政治の中に入り込み、国民個人の民主主義や、価値観を破壊するとき、一票を持つ国民=自然人は、「法人」と名づけた「虚構の意思表示主体」の行動を、拒否する力ももないまま、認めてしまっていいのか、ということである。
 法人と個人の関係も、高度成長期以前とは全く違っているいま、法人に政治的行為を認めた最高裁判決は、改めて再検討されなければならないのではないだろうか。この際、改めて理論構築と判例変更への運動を、と思えてならない。
(S.M)
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