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2024/05/29
「修正協議」というごまかしに妥協するな
終盤国会で、政治資金規正法の改正が問題になり、「与野党協議」なるものが行われる。何でも、「政策活動費」の扱いや、パーティ券の大量購入を5万円にするのか10万円にするのかなどが焦点なのだそうだが、最初から問題にされ、野党が要求している「企業、団体献金の禁止」と、国民の税金から強制的に取られている「政党助成金の廃止」は、論点にもならないらしい。しかし、それを抜きにした政治資金規正法改正などはありえない。適当に「修正」し、「改正」を通してしまおう、というのが、自民党のハラ。野党の一部も、「変えないより変えた方がいい」という理屈で「妥協」を模索。しかし、これだけ騒いでおいて、またも「ごまかし決着」というのは許せない。▼3年目の「裏金」騒ぎ
もともとの経過を振り返ってみよう。問題の発端は、一昨年11月の赤旗報道。自民党・派閥の政治資金報告書が政治資金パーティなどで過少申告なのを発見して報道した。一年間、じっくり捜査したのか、放っておいたのか分からないが、昨年10月、東京地検特捜部が捜査を始めた。神戸学院大学の上脇博之教授が刑事告発した中でのことだった。
「自己流軍拡」を進めるのに、問題すり替えに使えると考えたのか、岸田内閣もこれに乗って、ときの松野博一内閣官房長官、西村康稔経産大臣などを更迭して、「清和会」=元安倍派=を追い詰めた。
首相は自派については、早々と「解散」を宣言してやる気を見せたが、これが「自民党の危機」であることに気づくと、「派閥解散」や「政倫審」に逃げ、自ら最初の出席者になり、衆院80人、参院30人に及ぶ出席要請者が、頬被りして逃げようとするのを放置したままだ。
▼「不可解な憲法論」―最高裁判決
もともと、この問題は1990年代の「政治改革」からの流れがある問題。このときの「改革」では、企業・団体献金を廃止し、その代わり、政党助成金制度を創設してきた結果。この「企業・団体献金」は、現在も結局「野放し」になっている事実にあえて目をつぶって、ここまで来たのだ。
2月17日付本欄でも紹介したが、そもそも問題は、企業の政治献金は、本来、利益を追求するのが「会社・企業の論理」であることから、「できない」(違法)とされていたものを、1970年6月、「企業に政治資金寄付の自由がある」とする論理を最高裁がとって、現在まで続けられていることだ。
石村修専修大名誉教授は、雑誌「法と民主主義」(日本民主法律家協会・発行)5月号で、最高裁(石田和外裁判長)が争点ではなかった「法人の権利能力」にまで踏み込んで「憲法上は公共の福祉に反しない限り、会社といえども政治資金の寄付の自由を有する」と判示したことについて、「不可解な憲法論」と指摘している。
▼企業献金の見返りで政治が歪む
しかし考えてみよう。確かに、営利企業が非営利事業にカネを出すのは、慈善や文化活動を除けば、何かの賄賂か役員の使い込み、背任以外にない。会社、企業の存在も、現在は、戦後まもなくの時期とは大きく変わっている。実は見直しのチャンスである。
「週刊ポスト」5月17日、24日号は、「岸田(自民)が”集票組織”に補助金バラ撒き 内部報告書入手!」と題する記事を掲載。自民党には、各種企業団体の要望と、献金額、それに対する自民党の回答、そして、選挙に組織動員する票数を記録した文書があり、記事には、「令和6年版」の「要約版」からつくった一覧表を掲載している。
つまり、献金と動かせる「票」をもとに、政策が、企業団体の「ご希望通り」実行される。カネに「票」と見返りの「政策」がついてくる仕組み。これが「ワイロ」でないなら、それと「紙一重」。企業によって歪められている自民党政治の実態を示している。
<週刊ポストより>
(S.M)
(S.M)
2024/05/12
「予測不能」の岸田を倒すときだ
前回稿で「自民の今年度方針は(9月の岸田総裁任期まででなく)今年中の改憲」と書いた。少し引いたのかと思ったら、岸田は4月の国会答弁で「9月まで改憲という方針は変わりない」と答弁した。どこまで不真面目な党なのか。今年の憲法記念日にあたっての各紙世論調査で国民の憲法への「大きな流れ」は出ていたといっていい。朝日「憲法9条を変えないほうがよい」76%、「今の憲法9条があることで日本は戦争をしないですんできた」に「共感する」76%。共同通信「国会で憲法改正をめぐる議論」は「急ぐ必要はない」65%などである。
これを気に入らない読売は、憲法改正「賛成63%」を1面見出しにもってきた。が、設問を見て首をひねった。今日の政治の「軍拡かどうか」「経済状態はどうか」「裏金など政治腐敗は」などに一切目をつぶり、超一般的に「憲法は変えた方がいいか」を聞いているだけなのだ。
しかしこの読売調査でも「改憲に前向きな政党で条文作成を進める」は44%、「進めるべきでない」が51%。また改憲派が「9条の前にまず」と1点突破を狙う「大災害などで衆院議員が不在のときは」に対しても「改憲せず参院緊急集会で」58%と、国民はおおむね冷静だ。
そもそも、今の裏金腐敗の自民党に改憲をいう資格、大義があるのか。多くに人の胸に落ちる一種のキャッチコピーは「汚れた手で憲法触るな」だろう。「裏金触った手で憲法いじるな」という発展形もある。
さて改憲ノーのわれわれにとっては、今の自公政権をやめさせるのが大目標だ。そのために「解散・総選挙を」というのはそうなのだが、これを「岸田の手で解散」とだけ考える必要はないと言いたい。そうまず悪政の権化・岸田をやめさせればいいのだ。
実は自民の一部にも(逆の立場からだが)そう考える向きはある。自民党の元宿仁事務総長は岸田訪米前に一つの選択肢として「9月の任期満了前の退陣、総裁選前倒し⇒総選挙」があると提言したという(情報誌『選択』5月号)。同記事はなかば岸田を見放しているとさえいえる。「思いつきで動き、先々を考えない岸田の予測不能性は国内だけでなく、国際情勢にも混乱をもたらす恐れをはらんでいる」。
同じ言い方を前にもしたが、憲法でも、岸田政治でも、われわれはいま「押せ押せ」だ。解散・総選挙の前に岸田退陣もありうるのだ。
(寺)
2024/04/19
韓国・済州島「4・3事件」から76年
南北分断は日本の植民地支配が起因
4・3事件を体験した金時鐘さん
米軍政下の1948年、韓国・済州島で発生した「4・3事件」から今年で76年が経過した。日本の敗戦後、朝鮮半島は北緯38度線を境に、米軍と旧ソ連軍が南北に分割して占領した。南北分断などに抗議した島民らによる民衆蜂起が四・三事件。武力による弾圧で3万人が犠牲になったといわれるが、この惨禍のおおもとをたどれば、日本が領土拡大のために近隣諸国に行った戦争、すなわち帝国主義と植民地支配にたどり着く。米軍占領下の南朝鮮では、日本の統治に協力した官憲の生き残りが再び勢力を増していた。済州島では47年3月、抗日記念日のデモの参加者に向けて警官が発砲し、6人が命を奪われた。島民らは抗議のストライキを起こすなど島に不穏の空気が広がった。そして迎えた48年4月3日。間近に迫った南朝鮮単独選挙に反対した若者たちが未明に警官を襲撃した。これが事件の発端だった。
在日コリアンの詩人、金時鐘(キム・シジョン)さん(95)=奈良県生駒市=は、この事件に加わった一人だ。当時19歳。自身も追われる身となり、潜伏生活を経て49年、父が準備した船で島を脱出し、日本に上陸。大阪の旧・猪飼野地区の町工場で働き始めた。
祖国は朝鮮戦争(50~53年)で南北分断が決定的となり、韓国は軍事独裁政権の時代に入る。「逃げた」という負い目を背負う金さんは、在日同胞のための活動に身を投じ、朝鮮小学校の再建などに尽力した。一方で、日本語での詩の創作に打ち込み、猪飼野に暮らす人々に視点を置いた代表作「猪飼野詩集」をはじめ、次々に作品を発表して在日文学を追求していった。
「4・3事件は同族全般に及ぶ悲劇の一つだ」と金さんは言う。南北分断に抵抗した大勢の民衆の命が奪われた。日本は、その後の朝鮮戦争による「特需」で敗戦からの復興に弾みをつけたが、このとき、「日本の植民地支配がなかったら、朝鮮半島の南北分断には至らなかった」ということを、どれだけの人が意識していたのだろうか。
今夏で戦後79年。いま、日本は再び、戦争へと近づいている。その一例が、武器輸出の問題だ。政府は昨年12月、防衛装備移転三原則とその運用指針を改定した。外国企業が開発し、日本の企業が許可を得て製造する「ライセンス生産品」について、部品だけでなく完成品もライセンス元の国に輸出できるようになるのだ。日本で生産された武器が米国を経由してウクライナでの戦争に使われる可能性がある。
4月20日、東京都荒川区の日暮里サニーホールで4・3事件の犠牲者の追悼集会が開かれ、金時鐘さんが登壇する。植民地支配下を生き、戦後は「在日」として日本の社会を生き抜いてきた自身の体験と心境を語る。金さんに聞いてみたい。いまの日本の状況をどうみるか。そしてこの国に未来はあるのか、と。
(M・M)