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2022/05/02
「不戦」「非武装」「交戦権の否認」の意味
── 幣原元首相

── 第九条は占領下の暫定的な規定か。

幣原:そうではない。一時的なものではなく、長い間考えた末の最終的な結論だ。

── 丸裸のところへ攻められたらどうする。

幣原:一口で言えば「市中に活」だ。確かに今までの常識ではおかしいが、原子爆弾ができた以上、世界の事情は根本的に変わった。それは今後さらに発達し、次の戦争は短時間のうちに交戦国の大小の都市が灰燼に帰すだろう。
 そうなれば世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。戦争をやめるには、武器を持たないことが一番の保証になる。

── 日本だけがやめても仕様がないのでは?

幣原:世界中がやめなければ本当の平和は実現しない。しかし、実際問題としてそれはできない。すべての国はその主権を捨てて世界政府の下に集まることは空想だろう。しかし、少なくとも各国の交戦権を制限できる集中した武力がなければ世界の平和は保てない。
 二個以上の武力が存在し、その間に争いが発生すると、平和的交渉の背後に武力が控えている以上、結局は武力が行使されるか、威嚇手段として使われる。したがって二個以上の武力間には無限の軍拡競争が展開され、ついに武力衝突を引き起こす。だから、戦争をなくすための基本は武力の統一だ。

 例えば軍縮が達成され、各国の軍備が国内治安を保つに必要な警察力の程度にまで縮小され、国際的に管理された武力が世界警察として存在し、それに反対して結束するいかなる武力の組み合わせよりも、世界警察の方が強力というような世界だ。
 このことは理論的には昔からわかっていたことだが、今まではやれなかった。しかし原子爆弾が出現した以上、いよいよこの理論を現実に移すときが来た。

── そのような大問題は、大国同士が話し合って決めることで、日本のような敗戦国がそんな偉そうなことを言ってみたところでどうにもならないではないか。

幣原:負けた日本だからこそできる。軍拡競争は際限のない悪循環を繰り返す。集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられないネズミの大群と似た光景だ。要するに軍縮は不可能で、可能にする道は一つだけだ。それは、世界が一斉に軍備を廃止すること。もちろん不可能である。ここまで考えを進めてきたとき、第9条が思い浮かんだ。「そうだ。もし誰かが自発的に武器を捨てたとしたら―」。

 非武装宣言は、従来の観念からすれば狂気の沙汰である。しかし武装宣言が正気の沙汰か? それこそ狂気の沙汰というのが結論だ。要するに世界は一人の狂人を必要としている。自らかって出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができない。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。


── 他日、独立した場合、敵が口実を設けて侵略してきたらどうするのか。

幣原:我が国の自衛は、徹頭徹尾「正義の力」でなければならないと思う。その正義とは、日本だけの主観的な独断ではなく、世界の公平な世論に裏打ちされたものでなければならない。そうした世論が国際的に形成されるように必ずなる。なぜなら、世界の秩序を維持する必要があるからだ。
 ある国が日本を侵略しようとする。それが世界の秩序を破壊する恐れがあるとすれば、それによって脅威を受ける第三国は黙っていない。その第三国は、日本との条約の有無にかかわらず、日本の安全のために必要な努力をするだろう。要するに、これからは世界的な視野に立った外交の力によって我が国の安全を守るべきで、だからこそ「死中に活」があるというわけだ。
    
 (「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について-平野三郎氏記」=内閣憲法調査会事務局、一九六四年二月)

×       ×       ×

 これは、1951年(昭和26年)3月10日、幣原喜重郎元首相の側近、平野三郎元衆院議員が世田谷区岡本町の幣原邸で、幣原元首相から聞き取った、「憲法九条誕生の事情」の一部だ。自民党による「押しつけ九条論」が横行する中で、あまり知られていなかったが、高柳憲法調査会の調査の中で、1964年(昭和39年)1月23日、共同通信政治部・田中国夫記者が「スクープ」した。(共同通信「編集週報」127号)

 この記事は、全国の50数紙がトップまたは準トップ扱いで報じた、という。この日の「東京タイムズ」トップは、「幣原元首相の発意」と横の凸版見出し。その下に、「死去直前の『談話』 マ元帥に進言、同意得る 近く憲法調査会へ提出 象徴天皇と戦争放棄 元秘書官平野三郎氏が新資料」などの大見出しが踊っている。
 最近では、東大名誉教授の堀尾輝久さんが、2016年5月号の雑誌「世界」に、「9条幣原発案説」を裏付ける、幣原―マッカーサーの往復書簡を紹介している。

 なぜ、こんな話を紹介するのか―? いま、ウクライナ戦争をめぐって、「九条は要らない」「時代遅れだ」という宣伝が流されているからだ。自民党や右翼団体がいうように、「核時代だから、自国で自国を守れる軍隊が必要だ」というのが正しいのか? 「核時代、核兵器を持たないと抑止にならない」というのは本当か?

  ×       ×       ×

 プーチン大統領は、クライナ侵攻開始の2月24日に、「ロシアは最強の核保有国の一つである」と言明、核使用を脅し、4月27日にも「外部の者がウクライナに介入し、ロシアに戦略的脅威を与えようとするなら、われわれは電光石火の対応を取る」「われわれには対応手段があり、必要に応じて使用する」と述べ、世界を脅迫している。

 どんな兵器もそうだったが、それを使ったとたん、その兵器は陳腐なものになり、新しい強力な兵器が開発されてきた。「核」はその究極の姿であり、開発競争、軍備増強の競争が続く限り戦争はなくならない。それをなくすには…? 戦争の惨禍を経て、日本が到達したのが、第九条だった。幣原元首相の述懐は、その体験から生まれた哲学でもある。

 日本国民は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」し、「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」し、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(憲法前文)と宣言した。

 問題は「不条理な力」であっても「力」では対応しない、ということである。憲法施行75周年の憲法記念日に、その意味を考えたい。
(了)
2022/04/23
憲法の平和主義はどこへ
 防衛費を倍額に  自民安保調査会提言案
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 自民党安全保障調査会(会長・小野寺五典元防衛相)は、政府の外交・防衛政策の基本方針「国家安全保障戦略」など3文書の改定に向けた党の提言案を、4月21日の全体会合で了承した。注目の防衛費については、国内総生産(GDP)比の「2%以上」を念頭に、倍額(現在は1%程度)を目指す内容。新型コロナウイルス禍により医療体制がひっぱくし、社会不安が広がるなか、防衛費の倍増を打ち出したことは、ロシアのウクライナ侵攻に乗じた暴挙と言える。中国など周辺国が警戒を強めることは必至だ。
 防衛費の「国民総生産(GNP)比1%以内」は、三木内閣時代の1976年に閣議決定された。中曽根内閣は86年に1%枠を撤廃したが、以後も予算編成の目安となってきた。2022年度当初予算の防衛費5兆4005億円は過去最大だったとはいえ、GDP比約0・96%に収められた。
 防衛費に関しては、北大西洋条約機構(NATO)が2024年までに加盟国の国防費をGDP比2%以上に引き上げる目標を掲げており、今回の提言案は、これに追随するかたち。安保調査会は当初「5年をめどに2%以上」で検討を進めていたが、「安全保障環境の変化に迅速に対応する」との理由で、「前倒しも視野に入れる」と表現を変えた。
 そのほか、提言案では、相手国の領土内のミサイル発射拠点などを攻撃する「敵基地攻撃能力」の名称を「反撃能力」変更し、攻撃の対象に司令部など「指揮統制機能」を追加したうえで政府に保有を求めている。さらに武器輸出のルールを定める「防衛整備移転三原則」の枠を緩め、他国から侵略された国・地域への「装備の移転」の検討まで加える始末。それでなくとも、武器の全面的な禁輸政策として打ち出された「武器輸出三原則」は徐々に緩和されており、日本国憲法の平和主義は、このままでは骨抜きになる。
 この日は東京・永田町の衆院議員会館で、「日米地位協定改定を考えるリレー討論会」があり、米軍基地を多く抱える沖縄県の玉城デニー知事=写真中央=は、基地と新型コロナウイルスの感染拡大の関連性を指摘。日米地位協定の抜本的な見直しと、人々の生活、命を優先する政治の実現を訴えた。
 「最も優れた政治とは、戦争をしない、あるいは回避することだ」とよく言われる。いま、日本の政治がすべきことは、戦争状態にあるロシアとウクライナの停戦合意に向け、外交努力を尽くすこと。それが、ひいてはこの国の平和につながる。
2022/04/16
国か、いのちか
 前回書いた「命が一番大切なのだからウクライナは降伏を」論がずっと引っかかっている。

★「それを言うなら、侵略者に100倍言え!」
テレビ朝日モーニングショーの玉川徹キャスター「どこかでウクライナが引く以外に市民の死者が増えるのは止められない」(3月4日)、橋下徹・前大阪市長「もう政治的妥協の局面」(3月21日、フジ「めざましテレビ」)などが代表例か。私がまず叫んだのは次の二点だ。「それをいうなら侵略者の側に百倍の声で叫べ」「侵略に対し、どんな方法でどう対応するかは第一義的には侵略された側が決めることだ」

★「武力を頼む国は自滅する」
加藤陽子・東大教授(政府が学術会議委員への任命を拒否した)は、この種の議論を意識していたのではないか。
毎日新聞3月18日付「近代史の扉」はこう展開する。日中戦争が始まる2年前の1935年、北京大文学院長だった胡適(こせき、こてき)は言う。日本と戦争になれば、中国は米ソの支援を招来したい。しかし簡単に参戦してくれるはずもない。「ならば方法は一つ。中国自身が犠牲を払い、単独で数年間耐えるしかない」。「その犠牲を甘受して初めて」米ソの応援もあるのだ、と。覚悟とでもいおうか。加藤論評の表題はずばり「武力をたのむ国は自滅する」と。

★「先制攻撃はしない…」
同じく毎日3月27日の藻谷浩介(日本総合研究所主席研究員)論評も玉川所論を踏まえている。
「人命を守るために降参すべきだ」とは筆者は言わない、と明言したうえで、憲法論に入り、「憲法9条改正で国を守ろう」論に反論する。「憲法は、自国の政府権力を規制するものであり、どう改正しても外国をけん制しない」。「先制攻撃」論にも容赦ない。「ウクライナで死ぬロシア兵を見てもわかる通り、自国が先制攻撃をすることは、これまた無駄に国民を危険にさらす行為である」。氏の所論は、ロシアへの経済制裁の徹底に加えて何が必要か、さらに言う。「攻撃されれば死を賭して反撃するが、先制攻撃はしない」国を一つでも増やすこと。なるほど「憲法9条を世界に」の精神だ。

★「選択に敬意を払う」
篠田英朗東京外大教授(国際政治学者)は朝日4月15日付で、橋下、玉川氏らに呼び掛けているかのように語る。「ウクライナでは、大統領の方針を9割の国民が支持しています。多くの一般市民が命を懸けて、自分の国と国際社会の秩序を守っている。当事者が苦悩の末にそういう選択をした以上、それに対して敬意を払うべきでしょう」。氏の結論は次のくだりか。「『法の支配』によって国際社会の秩序を維持することは、二度の世界大戦の教訓を踏まえて、人類が取り組んでいる壮大な実験です」。ここには日本国憲法の精神への賛意が読み取れる。

★日本は何を学ぶ?
玉川氏についていえば3月18日の東京新聞コラムで「失われようとしている数十万の命を救う」ために「侵略を受け入れる」ことまで言及していた。1カ月でいろんな議論、ときには批判があり、氏は4月15日の同コラムでは「降伏」論は口にしていない。
自民党などの「改憲」「軍事費倍増」の主張について、「他国の不孝をテコにして長年の野望を実現しようという魂胆」が「ないとは言い切れません」と指摘する。さらにウクライナ問題から日本が何を学ぶか、「それは軍備増強や軍隊の創設なのでしょうか」と問い、「そうではない」と否定する。
彼の心中に変化があったか、この方向性は大事にしてほしいと念じる。
(了)

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